大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和56年(特わ)2658号 判決 1984年7月17日

パレスゴルフクラブ関連事件判決

東京地方裁判所刑事第二〇部

目次

当事者の表示

前文

主文

理由

凡例

(認定事実)

第一

被告人吉村及び同志賀の経歴等

第二

川越開発事件

被告人両名による川越開発の実質経営等

会員券の新規発行とその売却代金の横領の共謀

約束手形二〇通(金額合計三億円)の横領

酒井口座預金(合計四六三二万三七五〇円)の横領

約束手形三通(金額合計三〇〇〇万円)の横領

その余の状況等

罪となるべき事実

第三

パレスゴルフクラグ事件

被告人吉村によるパレスコルフクラブの経営

会員券の売却とその売却代金の横領

年会費の徴収、保管とその横領

その余の状況等

罪となるべき事実

第四

被告人吉村に対する所得税法違反事件

第五

被告人志賀に対する所得税法違反事件

第六

法人税法違反事件

(証拠の標目)

(弁護人の主張に対する判断等)

第一

概要

第二

川越開発事件について

ローデム等に売却された会員券について

弁護人の主張等

(一)

被告人吉村関係

(二)

被告人志賀関係

当裁判所の判断

(一)

はじめに

(二)

検察官主張の論拠等で是認できない主な点

(三)

会員券売却の経過

(四)

売却された会員券の性質について

(五)

まとめ

実質経営者について

検面調書の任意性等について

被告人吉村の検面調書について

被告人志賀の検面調書について

第三

パレスゴルフクラブ事件について

判示第三の五1「約束手形一〇通の横領」について

被告人吉村の弁護人の主張等

当裁判所の判断

判示第三の五2「年会費四億七五〇〇万円の横領」について

被告人吉村の弁護人の主張等

当裁判所の判断

第四

被告人吉村に対する所得税法違反事件について

「川越初雁会員券売却関係収入」について

違法所得について

第五

被告人志賀に対する所得税法違反事件について

「受取手数料」について

被告人志賀の弁護人の主張等

当裁判所の判断

「川越初雁会員券売却関係収入」について

「受取利息」について

「鉢形関係収入」について

島掛及び弟志賀雅之支払分について

「債権譲渡原価」等について

第六

法人税法違反事件について

「支払利息」について

「雑収入」について

犯意について

被告会社聖観光のほ脱税額について

(法令の適用)

(量刑の事情)

後文

昭和五九年七月一七日宣告

裁判所書記官 豊田博愛

昭和五六年特(わ)第二六五八号、同第三二二六号、同年刑(わ)第二七二八号、昭和五七年刑(わ)第一二七二号

判決

本籍

東京都大田区久が原五丁目三二番

住居

東京都港区高輪四丁目二四番五八号

アパートメント三三

無職

吉村金次郎

昭和一七年二月七日生

本籍

東京都千代田区麹町三丁目一〇番地九

住居

アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市ルマハイ街一二番地

(保釈制限住居)

東京都世田谷区代田二丁目一七番三七号

無職

志賀暢之

昭和六年八月二二日生

本店所在地

東京都世田谷区代田二丁目三一番四号

株式会社千代田リース

右代表者代表取締役

東京都世田谷区代田二丁目三〇番二三号

高橋伸幸

本店所在地

東京都港区南青山五丁目一一番二号四階

株式会社相模台ゴルフ倶楽部

右代表者代表取締役

東京都杉並区成田西一丁目一八番一二号

吉村勝彦

本店所在地

埼玉県上尾市大字平方字箕輪二六〇六番地一

有限会社フェニックス

右代表者代表取締役

東京都杉並区成田西一丁目一八番一二号

吉村勝彦

本店所在地

神奈川県川崎市川崎区南町一番地一七

有限会社聖観光

右代表者代表取締役

神奈川県川崎市川崎区京町一丁目一五番八号

高木文子こと

全奉善

本店所在地

東京都杉並区荻窪一丁目一八番三〇号

有限会社丸商

右代表者代表取締役

東京都渋谷区渋谷三丁目五番一ノ三〇二号

山田行雄

右吉村金次郎に対する法人税法違反、業務上横領、所得税法違反、志賀暢之に対する業務上横領、所得税法違反、株式会社千代田リース、株式会社相模台ゴルフ倶楽部、有限会社フェニックス、有限会社聖観光及び有限会社丸商に対する各法人税法違反の各被告事件について、当裁判所は、検察官五十嵐紀男及び弁護人仙谷由人、同小川敏夫(以上被告人吉村並びに各被告会社)、同笠井治(被告人吉村)、同福岡清、同桃尾重明、同山崎雅彦(以上被告人志賀)各出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

(一)  被告人吉村金次郎を懲役五年及び罰金六〇〇〇万円に処する。

未決勾留日数中二五〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

(二)  被告人志賀暢之を懲役三年六月及び罰金一億円に処する。

未決勾留日数中一五〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

(三)  被告人株式会社千代田リースを罰金一八〇〇万円に、同株式会社相模台ゴルフ倶楽部を罰金七〇〇万円に、同有限会社フェニックスを罰金七〇〇万円に、同有限会社聖観光を罰金五五〇万円に、同有限会社丸商を罰金六〇〇万円にそれぞれ処する。

(四)  訴訟費用中証人松浦昭に支給した分は被告人吉村金次郎の負担とし、その余は全部被告人吉村金次郎及び同志賀暢之の連帯負担とする。

理由

〔凡例〕

一  左に掲げる略称を用いることがあるほか、日常使用される略称を用いることがある。

略称 正式名称

ビバリー商事 ビバリー商事株式会社

(有)千代田 有限会社千代田リース

川越開発 川越開発興業株式会社

日本デベロ 日本デベロ株式会社

アイチ 株式会社アイチ

(有)初雁 有限会社初雁カントリークラブ

ローデム 株式会社日本ローデム

パレスゴルフ 株式会社パレスゴルフクラブ

サービス 株式会社パレスゴルフサービス

二  昭和五七年四月二八日の第九回公判期日に公判手続の更新が行われた関係で、第八回公判期日までの被告人及び証人の公判供述は、公判調書の供述記載部分が証拠となるが、これも単に「公判廷における供述」、「公判供述」、「公判証言」などと表示することがある。

三  株式会社名については、名称中「株式会社」を単に(株)と、有限会社名については、名称中「有限会社」を単に(有)と表示することがある。

四  金融機関については、(株)等の表示も省略し、例えば、第一勧業銀行青山支店を「第一勧銀・青山」とまた東京相互銀行渋谷支店を「東相・渋谷」などと表示することがある。

五  被告人中自然人たる被告人は、例えば「被告人吉村金次郎」又は「被告人吉村」と表示し、法人たる被告人は、例えば「被告会社千代田リース」と表示することがある。単に「被告人両名」というときは、原則として被告人吉村及び同志賀を指すものである。なお、被告会社千代田リース、同相模台ゴルフ倶楽部、同フェニックスについては、(株)千代田、(株)相模台ゴルフ、(有)フェニックスと表示することがある。

六  関係者の氏名は、同姓の者がいない限り、原則として二回目から姓のみを表示する。

七  後記「認定事実」の第二及び「弁護人の主張に対する判断等」の第二では、川越開発興業株式会社発行名義額面一五万円の川越初雁カントリークラブ預り金証書を単に「会員券」と表示することがある。この会員券で担保として差し入れられたもの自体を「担保会員券」と表示することがある。また、後記「認定事実」第三及び「弁護人の主張に対する判断等」第三では、株式会社パレスゴルフクラブ発行名義のパレスゴルフカントリークラブ預り金証書を単に「会員券」と表示することがある。

八  株式会社太陽神戸銀行麹町支店の酒井香名義の普通預金口座を単に「酒井口座」と表示することがある。また、株式会社東京相互銀行渋谷支店の株式会社パレスゴルフサービス名義の普通預金口座を単に「サービス口座」、吉村金次郎名義の普通預金口座を単に「吉村口座」とそれぞれ表示することがある。

(認定事実)

第一被告人吉村及び同志賀の経歴等

被告人吉村は、昭和三二年七月福岡市の私立泰星商業高等学校を中途退学後陸上自衛隊富士学校に入校し、昭和三四年八月に同校を卒業した後は上京して一時建築会社に勤めたのち、千代田区神田三崎町の(株)新興商事に入社し、同社で金融業に携わり、更に、飯田橋で金融業を営んでいた堀井仁述の下で働きながら金融業を修得し、昭和四〇年ころから、独立して個人で金融業を開始した。その後、被告人吉村は、会社組織で金融業を営むべく、(株)丸吉産業を、次いで昭和四七年五月には、(株)丸吉を設立し、更に、昭和四九年九月にはビバリー商事を設立して自ら代表取締役となり、高金利貸付けで事業を拡大し、資金を畜えて行った。この間の昭和四六年二月ころ、被告人吉村は、旅行中のメキシコシティーで被告人志賀と知り合い、同被告人に依頼して、前記(株)丸吉産業、(株)丸吉及びビバリー商事の経理、税務等をみてもらっていた。

被告人志賀は、旧制成蹊高校を経て昭和二四年四月慶応義塾大学経済学部に入学し、在学中の昭和二八年に詐欺罪により処罰(懲役一年執行猶予五年)されたこともあったが、会計学を専攻し、昭和三一年に公認会計士試験第二次試験に合格し、昭和三二年三月に卒業後、同大学大学院経済学研究科に進み、昭和三四年三月同科修士課程を終了し、その後同年一〇月に(株)東京放送に入社して昭和四三年ころまで勤め、更に、昭和四六年から昭和四八年までは、(株)石原プロモーションの副社長の地位にあった。そのかたわら、被告人志賀は、昭和四〇年ころから、渋谷区松濤において、門倉智三郎を補助者として「志賀会計事務所」を開き、会計士補としての仕事もしており、前記のとおり、昭和四六年ころ以降は被告人吉村の経営する(株)丸吉産業、(株)丸吉及びビバリー商事の経理等をみていた。

ところで、ビバリー商事は、昭和五一年秋ころ、いわゆる出資法違反(高金利貸付け)で警視庁に検挙されるに至った。そこで、被告人吉村は、被告人志賀の助言により、昭和五一年一二月、同被告人の知人山川和夫を代表取締役、また、被告人志賀を取締役とし、本店所在地を千代田区麹町五丁目七番地(TBRビル)とする(有)千代田を新たに設立し、これにビバリー商事の業務を引き継がせ、被告人志賀に引続き経理をみてもらうとともに、他方、金融の仲介を業とする(株)東京レントを設立し、約一〇億円の自己資金を投入して金融業を営んでいたが、昭和五三年にはいり、税務調査を受ける虞れがあるとの被告人志賀の示唆もあって、急遽、同年三月二七日、代表取締役を被告人志賀の大学の後輩にあたる高橋伸幸とし、本店所在地を港区南青山五丁目一一番二号(共同ビル)とする(その後、昭和五三年一二月一八日に渋谷区渋谷一丁目一番六号に、昭和五四年三月二五日に世田谷区代田二丁目三一番四号にそれぞれ本店移転)資本金一〇〇〇万円の(株)千代田を設立し、これに(有)千代田の債権債務を引き継がせ、その後は(株)千代田で金融業を営んでいた。被告人吉村は、(株)千代田の経理を当初は被告人志賀にみてもらっていたが、やがて高橋にこれをまかせるようになった。

なお、被告人吉村は、自己の経営するビバリー商事、(有)千代田及び(株)千代田の顧客に対する貸付資金として、真実は自己が右各会社に月利二・五%ないし四%で裏資金を貸し付けており、右各会社から利息を受け取っていたにもかかわらず、右受取利息収入を隠蔽し、脱税しようと考え、被告人志賀の指導により、右各会社に対する貸付けを被告人志賀が用意した「株式会社国際経営経済研究所」、「荒木貞哲」、「株式会社エムトレーダーズジャパン」等の架空金主名義で行い、利息も右各会社から右各架空金主に支払われたもののように装って自己の受取利息収入を秘匿しており、この脱税指導の対価、謝礼として、また、架空金主側における被告人志賀の経理処理と税務申告に対する報酬として、右受取利息のうちの四〇%ないし五五%を手数料として被告人志賀に支払っていた。

第二川越開発事件

一 被告人両名による川越開発の実質経営等

川越開発は、昭和三九年三月二五日に川越の名士達によって設立された資本金二五〇〇万円の株式会社であり、川越市に本店を置き、栗城至誠を代表取締役とし(但し、昭和五二年三月二三日以降は神田芳雄)当時の河川管理者の埼玉県知事から占用許可を受けて、埼玉県上尾市平方及び川越市老袋に所在する荒川河川敷にゴルフ場を建設し、昭和四〇年一一月に開場以降これを「川越初雁カントリークラブ」の名称で経営していたが、その会社の運営は、途中から取締役になった経理担当の岡野今雄のほか関口正鑅らに委ねられていた。

川越開発は、開業以来順調に利益を上げ、昭和四八年ころまでには預託金の返還に備えて約五億円の預金を持つに至ったが、そのころ、岡野、関口らが、鉢形カントリークラブの名称で埼玉県大里郡寄居町に新ゴルフ場を建設すべく、関口を代表取締役とする日本デベロを設立し、その地揚げ費用等に川越開発の資金を投入したため、次第に資金繰りが窮屈となり、また、新ゴルフ場建設計画も思うように進捗せず、一時これを中断して、ゴルフ場用地買収の目的で大生相互銀行等から借り入れた金員を、北海道虻田郡の山林約四二万坪の購入費用や川越駅前に建設の地上八階地下一階建のデベロビルの建築代金等に流用したため、その後のいわゆるオイルショックの影響等も加わって、川越開発は金利の支払い等に追われるようになり、資金繰りに窮するようになって、遂に、昭和五〇年六月ころから、当時川越開発の役員名坂弘と親交のあった被告人志賀の仲介により、ビバリー商事から、日本デベロにおいて川越開発連帯保証のもとに高金利の借入れをするようになり、以来、いわゆる金融業者等から高金利の借入れを重ねていた。このようにして、昭和五二年七月九日現在での(有)千代田からの借入れは残元金三口合計一億三五〇〇万円に達し、川越開発は、その担保として、川越開発所有の前記北海道虻田郡の山林約四二万坪に対する第一順位の抵当権設定の仮登記に応じたほか、日本デベロ所有の前記デベロビル等を提供し、また、別に、川越開発発行名義の額面一五万円の川越初雁カントリークラブ預り金証書すなわち会員券等を差し入れていた。

ところで、そのころ、被告人志賀は、岡野から、借入先の斡旋を求められるとともに、(有)千代田からの高金利の借入れに苦慮している旨告げられたため、大学の先輩の未亡人にあたる伊藤久美から自己が金員を借り受けたうえ、これで(有)千代田の日本デベロに対する債権を譲り受け、もつて利鞘を稼ごうと考え、そのころ右伊藤から一億五〇〇〇万円を月利一・七%で借り受け、昭和五二年七月九日、かつて前記「志賀会計事務所」の手伝いをさせたことのある前記高橋伸幸名義で、(有)千代田の日本デベロに対する貸金債権中一億円を譲り受け(以下「肩代わり」ともいう。)、その担保関係の書類を受け取るとともに、利息を以後月四・五%に下げ、更に、別に日本デベロに対し川越開発連帯保証のもと三五〇〇万円を月利四・五%で追加して貸し付けたことにし、その際、関口から、同人が経営する昭立プラスチック工業(株)振出しの約束手形四通(金額合計一億三五〇〇万円)をいわゆる裏保証として受け取った。こうして被告人志賀は、同日以降日本デベロないし川越開発に対し、貸付元金一億三五〇〇万円を有する大口債権者となり、以後、毎月その四・五%に相当する六〇七万五〇〇〇円の利息を受け取っていた。

しかし、日本デベロないし川越開発は、被告人志賀による肩代わり後も、会員券を担保に(有)千代田等の金融業者から高金利の借入れを続け、遂に、同年一一月二五日、川越開発において第一回目の不渡りを出すに至った。その時点における川越開発の債務(日本デベロを主債務者とする連帯保証債務を含む。)は、役員関係約二億七〇〇〇万円のほか、銀行等金融機関に対するもの約一五億八〇〇〇万円、(有)千代田等の金融業者及び伸共ゴルフ(株)等のゴルフ会員券販売業者に対するもの合計約九億円、預託金債権者(ゴルフクラブ会員)に対するもの約七億七〇〇〇万円等で、総額約三五億二〇〇〇万円に達し、そのうち、(有)千代田は、残元金二口合計五〇〇〇万円の貸付債権を有し、また、一〇〇〇枚の会員券を担保に取っていた。右第一回目の不渡り後、岡野は、第二回目の不渡りによる川越開発の倒産を防止すべく、被告人吉村に金銭の貸与方を懇願し、被告人志賀の口添えを得て、同一一月三〇日、ようやく(有)千代田から三〇〇〇万円を借り入れることができたが、会員券の担保差入れの有無は別として、その際、被告人志賀は、右貸借について川越開発のため連帯保証をした。

岡野は、右借入金によってようやく第二回目の不渡りを防いだものの、多額の負債を抱えて他に資金調達の見込みもなかったため、川越開発の債権者である金融業者アイチの社長森下安道の勧めにより、川越開発の経営を債権者に委ねるべく債権者集会を開くこととし、第一回目の債権者集会を同年一二月一〇日に招集したのを皮切りに、第二回目が翌一一日に、第三回目が同月一七日に、そして第四回目が同月二一日にそれぞれ前記デベロビルで開かれたが、出席債権者のほとんどはいわゆる金融業者や会員券販売業者であり、金融機関や預託金債権者らの出席はなく、被告人両名は、右各債権者集会に加藤隆三弁護士を伴うなどして出席した。そして、右第一回の集会では出席者の間で手形を取立てに回さない旨の合意がなされた。第二回の集会においては、被告人志賀が筆頭債権者であることから債権者委員長に、被告人吉村が被告人志賀の推挙を受けて同副委員長にそれぞれ選ばれ、結局、川越開発を倒産させることなく債権者の総体である債権者委員会で同社を運営することが決められ、その運営方法や債権回収の具体的方策について協議がなされた。また、この第二回の集会においては、川越開発の爾後の運転資金や川越開発の未払買掛金債務等の支払いについても協議され、これについては、差し当たり被告人吉村において出捐、負担することとなり、以上の各申合せ事項については、川越開発の経営者として出席していた岡野、関口も異議なく了承し、岡野は、これにより、その後、川越開発の社印や代表者印、手形帳等を債権者委員長である被告人志賀に手渡し、被告人両名は、以後、川越開発の実質上の経営者として同社の運営にあたることとなった。そこで、被告人吉村は、右第一回の集会に先行して、川越開発のために同年一二月一〇日ころ手形取立てに対する異議申立提供金として七四〇万円を、同月一二日ころ川越開発の諸経費として五〇〇万円をそれぞれ立替負担したが、右各金員については、後に、後記(有)初雁の帳簿上、被告人吉村が一旦(有)初雁に貸し付け、(有)初雁がこれを川越開発に貸し付けたものとして記帳処理された。

こうして、被告人両名は、債権者委員会の委員長及び副委員長として、かつ、川越開発の実質上の経営者として、コースの運営にあたることとなったが、前記のとおり、コースの敷地は川越開発が建設省関東地方建設局長(同敷地は昭和四四年四月から右局長の管理するところとなった。)から占用許可を受けて使用しているものであり、経営の主体が前記の債権者委員会に移ったものの、占用権の主体は法律上は依然として川越開発であったため、債権者委員会にコースの敷地の使用権を帰属させるべく、被告人志賀の提案により債権者委員会に代わるものとして新会社を設立することとし、第三回の集会に先立つ昭和五二年一二月一四日、他の債権者に図ることなく、被告人志賀を代表取締役社長、被告人吉村を取締役(昭和五三年七月一日以降は代表取締役)副社長とし、本店所在地を当時の被告人志賀の住居地である世田谷区代田二丁目一七番三七号とする(その後昭和五三年三月一日、埼玉県上尾市大字平方字箕輪二六〇六番地一に本店移転)資本金五〇〇万円の有限会社初雁カントリークラブすなわち(有)初雁(後に商号を「有限会社フェニックス」と変更、被告人となる。)を設立した。そして、被告人両名は、同月一七日、岡野、関口らに対して、川越開発がゴルフコースの営業権を(有)初雁に譲渡する旨を川越開発の取締役会で決議するよう求めたところ、岡野、関口をはじめ代表取締役の神田らがこれに異を唱え、右取締役会が営業権の譲渡に応じなかったため、やむなく被告人両名もこれを諦め、第二次的な案として用意していた営業権の賃貸借契約に切り替えることとし、直ちに、右取締役会をして、賃料一か月八〇〇万円でクラブハウス等附属建物及び什器設備一切を含むゴルフ場の営業を(有)初雁に賃貸する旨の決議をさせ、右神田をして被告人両名が予め準備、持参していたゴルフ場営業賃貸借契約書に署名押印させた。こうして、右契約により、(有)初雁は自己の計算においてゴルフ場を経営することとなり、コースの売上げとともに初雁カントリークラブの会員からの年会費もその収入とすることとなったが、被告人両名は、(有)初雁が川越開発に支払うべき賃料八〇〇万円について、別に右神田との間で覚書を作成するなどし、(有)初雁が川越開発に代わって支払う占用料や、公租公課、コースの補修費、建物の修理費、その他維持管理費、従業員の給料等をもって右賃料債務と相殺し得るものとしており、また、当時川越開発は年末のボーナスの支払い等のため約五〇〇〇万円を必要としていたため、当分の間、右賃料は実際には川越開発に支払われる可能性の少ないものであった。

第三回債権者集会は同日夕刻から開かれ、被告人両名は、前記のような理由によって(有)初雁を設立した旨及び同会社が川越開発とゴルフ場の営業賃貸借契約を結んだ旨を報告したところ、一部債権者から、右は委員長及び副委員長の越権行為であり、(有)初雁に生ずる利益を二人で独占しようとしているのではないかなどとの非難が出たため、被告人両名は、やむなく、債権者であれば誰でも株主となることができ、また、応分の経費負担に応ずれば(有)初雁の経営にも参加することができる旨譲歩を示し、また、(有)初雁の利益は全債権者への弁済の原資となるものである旨説明し、結局、他の債権者の中から新たに川越市に居住する大口債権者の戸村一男及びその輩下の遠藤正敏が債権者委員会の副委員長となって(有)初雁の経営に加わることとなり、これによって、右(有)初雁の設立及びゴルフ場営業賃貸借契約が承認されるに至った。なお、この第三回の集会においては、債権者が担保会員券を売却処分した場合、又は、担保会員券を有しない債権者で会員券による弁済を希望する場合には、実際にいくらで売れたかにかかわらず、台帳への登録によって、川越開発は一枚につき二七万円の弁済をしたものとして処理することができる旨が被告人両名から提案されたが、これに対しては、担保会員券を保有する債権者の多くから強い反対があり、結局、その合意をみるには至らなかった。しかし、担保会員券を有しない債権者で会員券による弁済を希望する者は、一枚二七万円で発行、交付を受けて弁済に充てることができることになった。

こうして、(有)初雁の経営が開始されることとなったが、被告人両名は、協議のうえ、被告人志賀においてコースの運営を担当し、被告人吉村において会員券の登録業務等を担当することとし、これに従い、被告人吉村は、担保会員券が売却処分されたり、あるいは会員券が一枚二七万円で債権者に発行、交付された場合には、川越開発においてその登録請求に応じなければならないところから、この会員券登録業務を(有)初雁において代行しようと考え、そのころ、岡野をして、右登録業務及び一枚二七万円で会員券を発行して交付する業務等を川越開発から(有)初雁に委任する旨の委任状を作成させ、同月一九日ころから、この業務を、クラブハウスや、デベロビルに設けた(有)初雁の事務所で始め、また、他方で、同月末ころから、(有)千代田の保有する担保会員券をローデムに売却し、あるいは、知人の石丸逸郎に売却させるなどしていた。

ところで、被告人吉村は、(有)初雁が川越開発からゴルフ場の賃貸を受けても、この賃貸借を前記建設省関東地方建設局長から否認される虞れが多分にあり、あるいは、逆に岡野らが(有)初雁に内緒で占用権を同局長に返還することも考えられないわけではなかったため、コースの運営を継続、確保するためには川越開発を資本面でも支配し、自己の指揮下に置いておく必要があると考え、当時川越開発が昭和五二年の年末手当や資金等に窮していたこともあって、川越開発に五〇〇〇万円の増資をさせ、これを全額(有)初雁に引き受けさせることとした。被告人志賀は、このような被告人吉村の考えに当初は乗り気ではなかったものの、同被告人から、コースの運営を確保するためには是非とも川越開発を資本面でも支配しておく必要がある旨説得されてこれに同調し、同月二一日に開かれた第四回債権者集会において、川越開発に五〇〇〇万円の増資をさせ、これを(有)初雁で全額引き受けたい旨提案して出席債権者の承認を得、右集会を一時休憩にしたうえ、岡野に対し、右増資の決議を川越開発の取締役会において行うよう申し入れた。右申入れに対し、直ちに開かれた取締役会においては、右増資に応ずれば結局のところ被告人両名に川越開発を乗取られることになる旨の反対意見もあったが、被告人吉村が増資でなければ川越開発に金銭を投資することはできない旨述べて貸付けの方法によることを拒否したため、結局、取締役会もこれを了承し、資本金を五〇〇〇万円(一〇万株)増資して七五〇〇万円とし、増資分を全額(有)初雁に引き受けさせる旨の決議をするに至り、これが再開後の前記債権者集会に報告されて承認された。こうして、ここに、被告人両名は、川越開発の発行済株式総数の三分の二を保有するところの(有)初雁のオーナー兼役員になるとともに、川越開発の前記実質経営者としての地位を確保し、これを一層安定、強固にさせるとともに、ひいては、川越開発の会員券を独自に売却し得る地位をも固めるに至った(なお、その後、被告人吉村は、増資払込期限の同月二七日、自己の手持金五〇〇〇万円を東京相互銀行渋谷支店すなわち東相・渋谷の川越開発名義の別段預金口座に入金して払い込んだが、翌二八日、これを同支店の川越開発名義の普通預金口座に移し替え、同日、更にこれを同支店の(有)初雁名義の普通預金口座に移し替えて、川越開発から(有)初雁に対して後記立替金ないし借入金の返済があったこととし、翌昭和五三年一月二五日及び二六日にそれぞれ三〇〇〇万円及び二〇〇〇万円を右(有)初雁名義の口座から引き出して、(有)初雁から被告人吉村に対して借入金の返済があったこととし、自己の手中に右五〇〇〇万を回収した。しかし、後に作成された(有)初雁の振替伝票(符74)及び元帳(東京支社分。符66)上は、昭和五二年一二月二八日に被告人志賀及び同吉村がそれぞれ(有)初雁に対して三〇〇〇万円及び二〇〇〇万円を貸し付け、(有)初雁が同日これを川越開発に対する出資金として払い込み、翌昭和五三年一月一八日、(有)初雁は川越開発の株式を五〇〇〇万円で他に売却処分し、この代金によって被告人志賀及び同吉村からの右各借入金を返済したものとして処理されており、更に、これとは別に、(有)初雁は昭和五二年一二月二八日に被告人志賀から五〇〇〇万円を借り入れて東京相互銀行(符74参照)に普通預金し、翌昭和五三年一月二五日及び二六日にそれぞれ三〇〇〇万円及び二〇〇〇万円を右普通預金口座から引き出して右借入金の返済に充てた旨の記帳がなされているが、川越開発から(有)初雁が五〇〇〇万円の返済を受けたとの記帳はなく、また、(有)初雁の前記元帳に記載されている昭和五二年一二月二八日現在の川越開発に対する債権額は約二七七〇万円であり、翌二九日のそれは約三五〇〇万円であって、いずれにしても五〇〇〇万円には達していなかった。)。

ところで、被告人両名は、もとより、戸村及び遠藤が(有)初雁の経営に加わることを望んでおらず、(有)初雁の利益を独占したいと考えていたため、同人らに対して従業員に対する給料等の経費負担を要求することによって同人らを経済的に困惑させ、これに耐え切れなくなった同人らをして(有)初雁の経営から手を引かせようと考え、昭和五二年一二月一九日ころに川越開発の従業員に支払うべき年末手当の一部金として六七〇万円を、同月二二日ころには同社の諸払費用として一五〇万円を、更に、同月二六日ころには右手当の残余分等として五〇〇万円をそれぞれ分担、支出させたところ、果たして以後の分担に耐え切れなくなった同人らが(有)初雁の経営から手を引きたい旨申し出たため、ここに同人らから、今後一切(有)初雁の経営には口を出さない旨の了承をとりつけたうえ、これと引き換えに、<1>既に同人らが出した合計一三二〇万円を被告人吉村において肩代わりし、これとは別に<2>同人らに(有)初雁振出名義の約束手形で一〇〇〇万円を支払い、また、<3>被告人志賀が有する前記デベロビルに対する抵当権を同人らに譲渡す旨を約し、こうして、被告人両名は、戸村らの(有)初雁からの離脱により、事実上、その収益を川越開発の他の債権者への弁済の原資とすることなく、被告人両名で独占し得ることとなった(なお、前記<1>については、同月三〇日ころから翌昭和五三年一月二〇日ころまでの間に全額が支払われ、<2>については、昭和五三年一二月に(有)初雁振出しの約束手形一〇通(金額合計一〇〇〇万円)が交付されたが、(有)初雁の元帳や伝票の上では、戸村らが出した分担金についても(有)初雁が同人らからこれを借り受け、これを川越開発に貸与したように処理されており、また、右<1>については、被告人吉村が(有)初雁に金銭を貸し付け、これを(有)初雁が一旦大生相互銀行の普通預金としたうえ、こうした普通預金から戸村らに返済したものとして処理されているようであり、また、川越開発の元帳(符68)では、右<2>については、川越開発が(有)初雁から一〇〇〇万円を借り受け、手数料として戸村に支払ったものとして処理された。)。

二 会員券の新規発行とその売却代金の横領の共謀

ところで、被告人吉村は、(有)初雁が川越開発から委任を受けた会員券の登録業務等を行うため、昭和五二年一二月下旬ころ、会員券用紙を新規に印刷することとしたが、その際、被告人吉村は、(有)千代田の保有する担保会員券とは関係なく、川越開発に大量の会員券を発行させ、この新規発行にかかる会員券を売却し、その売却代金を川越開発のため使用することなく横領しようと企て、同月下旬ころ、被告人志賀を介し、コースの支配人島掛健をして、従来川越開発の会員券を印刷していた大宮市の(有)文昇堂に金額一五万円の会員券用紙二〇〇〇枚と金額五万円の平日会員券用紙三〇〇〇枚の印刷を発注させ、同月二九日これを納入させるとともに(なお、被告人吉村は、その後も、昭和五三年一月二七日に金額一五万円の会員券用紙一〇〇枚と金額欄白地の会員券用紙五〇枚を、また、同月三〇日には金額欄白地の会員券用紙五〇枚を、更に、同年二月二七日ころには金額一五万円の会員券用紙二〇〇〇枚をそれぞれ納入させた。)、他方で、かねて資金援助をしていた会員券販売業者のローデムに対し、川越開発の新規発行にかかる会員券の一括買取りとその販売方を要請した。

このようななかで、被告人吉村は、昭和五三年一月四日から同月一一日までの間、先にハワイに赴いていた被告人志賀をその別荘に訪ねて同所で起居を共にしたが、その際、被告人両名は、(有)初雁の業務に関し、被告人志賀が主としてコースの運営を担当し、被告人吉村が主として年会費の徴収や会員券の登録、名義書替業務等を担当することを再確認したうえ、被告人吉村が川越開発の新規発行にかかる会員券を売却した場合には、被告人吉村だけがその売却代金を取得せず、その半分を被告人志賀の取得とする旨の協議、取決めを行い、ここに、被告人両名は、川越開発の新規発行にかかる会員券の売却代金についてこれを横領して折半することの謀議を遂げ、なお、ローデムあるいは後記アイチとの交渉経過等についても被告人吉村から被告人志賀にその概略の説明がなされた。

三 約束手形二〇通(金額合計三億円)の横領

ところで、川越開発に対する債権者の一人であるアイチは、貸付残元金四〇〇〇万円の債権を有し、その担保として、クラブハウスに対する所有権移転請求権仮登記のほか、会員券八五〇枚を保有していたところ、かねてから右元利金の返済を強硬に求めており、債権者集会の申合せにもかかわらずその有する川越開発振出しの手形を取立てに回す旨の言動を示していたため、被告人両名は、昭和五二年一二月下旬ころから、同社の社長の森下や社員の佐藤三郎と、その債権の取扱いについて交渉していたが、川越開発における自己らの実質経営者としての地位を安定させ、アイチに川越開発の経営につき容喙させないためには、同社の債権を肩代わりするのほかないものと考え、昭和五三年一月一四日ころ、被告人吉村においてアイチの元本債権を四〇〇〇万円で譲り受ける旨の契約を結び、同日ころ、うち三〇〇万円を支払い、こうして被告人吉村は、右契約によって、八五〇枚の担保会員券を新たに入手できる見込みとなった(その後、被告人吉村は、同年二月二〇日ころ、残代金として金額合計三七〇〇万円の約束手形四通を交付し、これと引換えにアイチから八五〇枚の会員券を受領したが、その後被告人吉村は、右手形四通のうちの支払期日を同年三月三〇日とする金額一二〇〇万円のものについては、同年三月三〇日ころ、二〇〇万円を現金で支払い、残余の一〇〇〇万円を(有)千代田が保有する担保会員券一〇〇枚で代物弁済し、また、利息合計八一四万一五二〇円については、被告人吉村が肩代わりをすることなく、一枚二七万円で発行することができるとされていた川越開発の新規発行の会員券三〇枚で支払った。)。そこで、被告人吉村は、同年一月二一日ころ、川越開発の新規発行にかかる会員券二〇〇〇枚について、川越開発のため、ローデムとの間で代金を三億円とする売買契約を結び、同日ころ、千代田区永田町二丁目四番地所在の秀和溜池ビル内のローデムの事務所において、別紙(一)記載の約束手形二〇通を売買代金として受取り、これを川越開発のため業務上預り保管中、その場で、被告人志賀との前記横領の謀議に基づき、右約束手形二〇通につき、後記七「罪となるべき事実」1記載の横領行為に及んだが、被告人吉村は、これに先立ち、右代金三億円のうち一億円は被告人志賀に内緒で自己において全額取得し、残り二億円についてのみ被告人志賀と折半しようと考え、応対にあたったローデムの副社長戸田浩に対し、金額一〇〇〇万円のもの一〇通と金額二〇〇〇万円のもの一〇通とで約束手形を振り出すように求めたうえ、同人に対し、被告人志賀には代金二億円で売却したことにしておいて欲しい旨依頼してこの約束手形二〇通を受領した。そして、被告人吉村は、被告人志賀に対し、そのころ、ローデムに対して川越開発の新規発行にかかる会員券二〇〇〇枚を代金二億円で売却した旨伝え、その後、右二億円分の約束手形についてはこれを期日に現金化して折半し、あるいは(株)千代田で割り引いて現金化して折半したが、残る一億円の約束手形については自己が単独で取得した(なお、ローデムに対しては、同年六月ころまでの間に数回にわたり、記番号等の記入された会員券が交付されたが、当時、川越開発は、前記建設省関東地方建設局長から新規会員券の発行を控えるように行政指導されていたため、右会員券には、記番号のほか架空の名宛人が記入され、発行年月日もかなり遡らせて記入されて、あたかも裏書譲渡によって顧客に交付されるような形式に整えられたものであった。)。更に、被告人両名は、債権者集会において、川越開発振出しの手形は取立てに回さない旨の一応の申合せがなされていたものの、債権者集会の雰囲気等からして、右申合せに反して手形を取立てに回す債権者の出ることが十分に予想されたため、加藤弁護士に相談するなどしてその対策を検討していたが、結局、同弁護士の発案により、同年一月三〇日、浦和地方裁判所川越支部に対し、名義上の債権者高橋伸幸を申立人として、川越開発の会社整理手続開始の申立てをするとともに、これに伴う保全処分の申立てを行い、同年二月三日、同支部から、川越開発は同日以前の原因に基づいて生じた金銭債務の弁済をしてはならない旨の保全処分の決定を得、ここに、川越開発が合法的に債務の支払いを拒否することができるよう処置した。

四 酒井口座預金(合計四六三二万三七五〇円)の横領

被告人吉村は、右川越開発の新規発行にかかる会員券の売却後、しばらくは石丸らに担保会員券を売却させていたが、昭和五三年三月一〇日ころ(有)初雁の事務所をデベロビルから千代田区麹町五丁目七番地所在のTBRビル九一六号室に移し、同所で(有)初雁の事務員落合敦子らに川越開発からの委任事務たる会員券登録業務等を行わせることとしたのを機に、自己が保管する前記の新規印刷にかかる会員券等を落合にも保管、管理させ、石丸らが販売契約を結んで来た顧客に右の会員券を交付させようと考え、そのころ、その旨を落合に告げて、以後、石丸らが顧客と販売契約を結んで来た場合、石丸らに一枚につき一〇万円を仕切り値として納入させるのと引換えに、川越開発の新規発行にかかる会員券を裏書譲渡の形式に整えて登録、交付させていたが、次第に右会員券を売却した代金(仕切り代金)が増えて来たため、管理上及び被告人志賀との紛議を防止するため、一旦これを預金し、そのうえで折半しようと考え、同年五月一二日、実兄の吉村勝彦を介し、落合をして、千代田区麹町六丁目六番地所在の太陽神戸銀行麹町支店に酒井香名義の普通預金口座すなわち酒井口座を開設し、同日以降、落合が受け取る川越開発の新規発行にかかる会員券の売却代金(仕切り代金)は全額この酒井口座に入金させていた。そして、被告人吉村は、ローデムが前記三記載の二〇〇〇枚の会員券をほぼ売り尽くした同年六月ころからは、再びローデムに対しても川越開発の新規発行にかかる会員券を売却させ、落合を介して、ローデムから一枚につき一〇万円の仕切り代金を受領して酒井口座に入金していた。このようにして、川越開発の新規発行にかかる会員券の売却は、結局、昭和五四年三月末ころまで続けられ、その売却代金が酒井口座に入金された。この間、被告人吉村は、その預金通帳と印鑑を落合に保管させて右預金を川越開発のため業務上預り保管していたが、別紙(二)一覧表記載のとおり、同年七月五日以降七回にわたり、被告人志賀との前記横領の謀議に基づき、右預金につき後記七「罪となるべき事実」2記載の横領行為に及び、これを被告人志賀と折半した。

五 約束手形三通(金額合計三〇〇〇万円)の横領

ローデムは、前記のとおり、被告人吉村に依頼されて、昭和五三年六月ころから再び川越開発の新規発行にかかる会員券の売却を行い、顧客から受領する売却代金中一〇万円を落合に仕切り代金として届けて納入し、会員券の登録、交付を受けていたが、ローデムは、同社の資金繰り上顧客から代金を受領しても他に流用し、落合のもとに届けることのできないことが多かったため、次第に未登録のいわゆる溜り客が増えていき、顧客から苦情が出始めたため、同年一二月に至り、戸田は、被告人吉村に対して、金額合計三〇〇〇万円の手形を振り出すので三〇〇口の登録を認めて欲しい旨依頼し、同被告人の了承を得て、同年一二月六日ころ、川越開発の新規発行にかかる会員券の購入代金として、別紙(三)記載の約束手形三通を振り出して被告人吉村に交付した。そこで、被告人吉村は、被告人志賀との前記横領の謀議に基づき、右約束手形三通につき、後記七「罪となるべき事実」3記載の横領行為に及び、その後これを(株)千代田で割り引いて現金化し、被告人志賀と折半した。

六 その余の状況等

川越開発は、その代表者を、昭和五三年四月一四日以降名坂弘と、昭和五四年三月二六日以降被告人志賀の岳父にあたる箕村佳夫としたが、右両名はいずれも名目上の代表取締役に過ぎず、その間の実質経営者は被告人両名(昭和五四年七月九日以降は被告人吉村)であり、また、その本店を昭和五四年二月一〇日に港区北青山一丁目四番一号に移転して現在に至っているが、この間の昭和五六年九月八日東京地方裁判所より破産宣告がなされた。(有)初雁は、昭和五三年一一月、川越開発に代わって正式に前記建設省関東地方建設局長から本件河川敷の占用許可を受け、また、昭和五四年三月には、その商号を「有限会社フェニックス」すなわち(有)フェニックスと改め、また、コースも「川越初雁カントリークラブ」から、「リバーサイドフェニックス」に変更して今日に至っている。この間の同年四月ころ、被告人吉村は、増加した会員の減少を図るべく追加預託金の徴収を決め、これに応じた会員についてはその地位を(有)フェニックスで引き継ぐが、これに応じない会員に対しては昭和五七年三月からその預託金の返還に応ずることとして、昭和五四年六月ころまでの間に追加預託金合計約四億三〇〇〇万円を集めた。一方、被告人志賀は、かねてからハワイに移住したいと考え、被告人吉村に対し、(有)フェニックスの代表取締役社長としての地位と自己の川越開発や(有)フェニックス等に対する債権全部の買取方を求めていたところ、右追加預託金が集められたのを機に、改めてこれを代金四億円で買い取るよう求め、同年七月九日、被告人吉村がこれを承諾するに至ったため、同日、同被告人から四億円を受領し、これによって、同日以降被告人志賀は川越開発や(有)フェニックスから一切手を引くこととなり、同社の経営は被告人吉村一人の手に収められることになるとともに、川越開発及び(有)フェニックス等に対する被告人志賀の債権は全部被告人吉村に移転することとなった。そして被告人吉村は、同年九月、被告人志賀の代表取締役解任の登記を経由して、(有)フェニックスの単独の代表者となったが、その後本件の捜査を受けるに及んで、昭和五六年九月、代表取締役を吉村勝彦及び島掛に譲り、自らは実質上の経営者となって今日に及んでいる。

七 罪となるべき事実

以上のようにして、被告人両名は、川越開発の実質経営者として、同会社の経理、出納その他会社業務全般を統括していたものであるが、共謀のうえ、川越開発の新規発行にかかる会員券の売却代金を横領しようと企て、

1 約束手形二〇通(金額合計三億円)の横領

昭和五三年一月二一日ころ、被告人吉村において、前記三記載のとおり、ローデムに対して川越開発の新規発行にかかる会員券二〇〇〇枚を代金三億円で売却する旨の契約を結び、同日ころ、千代田区永田町二丁目四番地所在の秀和溜池ビル内のローデムの事務所において、同社副社長戸田浩から別紙(一)記載の約束手形二〇通(金額合計三億円)を売買代金として受け取り、これを川越開発のため業務上預り保管中、その場で、ほしいままに、自己及び被告人志賀の用途に充てるため着服して横領し、

2 酒井口座預金(合計四六三二万三七五〇円)の横領

別紙(二)一覧表記載のとおり、被告人吉村において、同年七月五日から翌昭和五四年四月二日までの間、前後七回にわたり、港区赤坂所在の太陽神戸銀行赤坂支店ほか一か所において、同銀行麹町支店の酒井香名義の普通預金口座に入金して前記四記載のとおり川越開発のため業務上預り保管中の川越開発の新発行にかかる会員券売却代金及びその利息等合計四六三二万三七五〇円を、ほしいままに自己及び被告人志賀の用途に充てるために、情を知らない(有)初雁の従業員らを介して払戻しを受けてこれを横領し、

3 約束手形三通(金額合計三〇〇〇万円)の横領

昭和五三年一二月六日ころ、被告人吉村において、前記五記載のとおり、ローデムに対して川越開発の新規発行にかかる会員券三〇〇枚を代金三〇〇〇万円で売却し、同日ころ、前記ローデムの事務所において戸田から別紙(三)記載の約束手形三通(金額合計三〇〇〇万円)を売却代金として受け取り、これを川越開発のため業務上預り保管中、その場で、ほしいままに自己及び被告人志賀の用途に充てるため着服して横領し

たものである。

第三パレスゴルフクラブ事件

一 被告人吉村によるパレスゴルフクラブの経営

株式会社パレスゴルフクラブすなわちパレスゴルフは、その商号をもと株式会社神奈川パレスゴルフクラブと称し、昭和四三年一月に春山敏郎を中心に設立されたもので、当初は資本金二〇〇〇万円、春山を代表取締役社長とし、中央区八重洲六丁目三番地に本店を置き、昭和四六年四月に静岡県田方郡函南町に箱根山御山組合から借地して一八ホールの通称函南コースを開設し、また、昭和四八年四月には神奈川県小田原市に地元財産区から借地して一八ホールの通称根府川コースを開設して、ゴルフ場を経営していた。ところが、春山が、この間の昭和四八年二月に(株)相良カントリークラブを設立し、静岡県榛原郡相良町に新ゴルフ場を建設すべく、パレスゴルフクラブの資金をこれにつぎ込み、更に、同年一〇月ころからは、函南コースに隣接して一八ホールの通称高雄コースの開設にも取りかかったため、パレスゴルフは、昭和五〇年春ころから資金繰りに窮するようになり、遂に同年九月ころにはアイチから一億円を借り入れるに至った。その後、総会屋の鈴木一弘の意向を受けた津久井高光と物部基がパレスゴルフの相談役としてはいり、昭和五〇年一一月物部が代表取締役副社長に就任し(同年一二月登記)、同人が常務取締役徳田彰彦の補佐を受け、春山に代わってパレスゴルフの経営にあたるようになったが、事態は好転せず、昭和五一年一〇月にはビバリー商事からも運転資金を借り入れるようになり、金融業者からの高金利の借入れを続けたため、遂に、昭和五三年三月末には不渡りを出さざるを得ない状態に陥った。このようにして、パレスゴルフの債務は、同年一月末の時点で預託金債権者(会員)に対するもの約一二〇億円があったほか、これに加えて同年三月末の時点で銀行等金融機関に対するもの約六億円、(有)千代田等いわゆる金融業者に対するもの約一四億九〇〇〇万円等があり、このほか、現地関係のコース敷地の未払賃料、灯油代など未払買掛金、滞納租税公課等も少なからぬものがあった。このなかで、(有)千代田は、貸付残元金一億八〇〇〇万円(緊急融資の一二〇〇万円は別)を有し、前記根府川コースのクラブハウスに対する第一順位の抵当権を有していた。

そこで、物部及び徳田らは、同年四月初旬、金融業者らによる債権者会議を開いて実情を説明し、大口債権者である被告人吉村に対し、一億五〇〇〇万円の増資を引き受けてパレスゴルフの経営を引き継いで欲しい旨依頼した。被告人吉村は、右申出に対し、パレスゴルフがいわゆる名門コースを経営するゴルフ会社であることからそのオーナーとなることに相当の魅力を感じ、また、当時会員への預託金の返還がパレスゴルフクラブの理事会によって五年間延長する旨の決議がなされていたこともあって、他の債権者すなわち主として金融業者の協力が得られればパレスゴルフの経営を引き受けてもよいと考え、その旨を物部らに伝えた。そこで、物部は、同年四月七日債権者会議を開き、金融業者に対し、債務の支払いを延期して欲しい旨依頼し、内整理によるパレスゴルフ再建への協力を求め、出席債権者も概ねこれを了承した。被告人吉村は、翌四月八日に開かれた臨時株在総会で取締役に、その後開かれた取締役会で代表取締役に順次選任され、ここに取締役を辞任した物部に代わってパレスゴルフの代表取締役副社長となり、同社の経営にあたることとなった。被告人吉村は、弁護士佐々木黎二に東京地方裁判所に対する会社整理申立ての手続を依頼する一方、前記債権者会議に出席しなかった債権者に対して再建への協力を要請するなどしたが、大口債権者のうち、根府川コースの営業権を担保に取っているアイチは、右コースを自社に譲渡することを強硬に求め、また、函南コースのクラブハウス等に対して第一順位の根抵当権を有する伊藤忠商事(株)及び物部らの個人保証を取っている金融業者のウエダ産商(株)は、ともに強くその返済を求め、また、前記会社整理の申立ても容認される見込みの薄い状況にあった。このようななかで、被告人吉村は、同月一二日に開かれた債権者会議において、新代表取締役として挨拶をするとともに、債務返済の計画案を示し、既に銀行等金融機関に差し入れられている会員振出しのローン手形約六億円を除き、増資金一億五〇〇〇万円、パレスゴルフ発行の会員券の新規売却代金月額予定約五〇〇〇万円及び根府川コースの譲渡代金残額(アイチの債権と相殺後のもの)二億四〇〇〇万円をもって債務の支払いに充てることで出席債権者の了承を得、また、(有)千代田に対する返済は後回しにすることとされたが、パレスゴルフの会員に対する預託金の返還については、コースの営業を継続すれば当面一時に多数の返還請求はないものとして、特に議論はされなかった。その後の四月中旬ころ、被告人吉村は、パレスゴルフの増資として一億五〇〇〇万円の払込みを終え、ここに、従前ビバリー商事が保有していた一万五九〇〇株と併せて発行済株式総数二四万株のうちの六九%強にあたる一六万五九〇〇株を保有する株主となり、パレスゴルフの経営者としての地位を安定させて、同社の業務全般を統括することとなった。そして、パレスゴルフ再建の第一歩として、被告人吉村は、同年四月下旬ころ、パレスゴルフの会員のプレー権を継承するとの約束を取りつけたうえで、根府川コースを代金四億七〇〇〇万円でアイチの系列会社(株)日本ゴルフ証券に譲渡し、アイチのパレスゴルフに対する債権額との差額二億四〇〇〇万円を、昭和五四年一月から同年一二月までの支払期日の約束手形で受け取り、また、(株)千代田において、昭和五三年五月八日ころ伊藤忠商事(株)に対して九八七八万二九四五円を、同月一六日ころウエダ産商(株)に対して二〇〇〇万円をそれぞれパレスゴルフに代わって弁済した。しかし、座告人吉村は、会員たる預託金債権者に対しては、その返還請求に応ずれば切りがないことから、原則としてこれに応じない方針をとっていた。なお、その後、被告人吉村は、伊藤忠商事(株)への右弁済分につき、貸主を(株)千代田、借主をパレスゴルフとする元金一億〇五〇〇万円の同年五月八日付金銭消費貸借契約書を、また、ウエダ産商(株)への右弁済分及びパレスゴルフがローデムに振り出した融通手形をローデムの依頼によって割り引いた約束手形金八〇〇〇万円につき、前同様元金を一億円とする同月一六日付金銭消費貸借契約書を、更に、従前からの(有)千代田貸付分につき、前同様元金を二億円とする金銭消費貸借契約書をそれぞれ作成し、前二者についてはそのころ確定日付けを取得した。

ところで、被告人吉村は、前記のような債務の返済計画が一応了承されるに至ったものの、債権者からいつ手形を振り込まれ、あるいはいつ差押さえ等の強制執行を受けるかもしれなかったため、また、コースの経営も「パレスゴルフクラブ」名で行うよりは別名で行うのが得策であるとして、加藤弁護士らと相談のうえ、新たに別会社を設立してこれにパレスゴルフの資産を移し、同社名でコースの営業を行おうと考え、同年五月八日、本店所在地を千代田区麹町五丁目七番地とし、代表取締役を被告人志賀とする株式会社パレスゴルフサービスを設立したうえ、パレスゴルフがサービスに対して前記函南コース及び高雄コース(以下、両者を併せて「函南コース」という。)の営業業務や会員からの年会費徴収業務等を委託する旨の同日付ゴルフ場業務委託契約書を作成して春山に署名させ、これによって、コースの売上げや会員からの払込年会費等はいずれも全てサービスに帰属するものとし、また、パレスゴルフ所有にかかる土地、建物、什器備品等については、友人の角名崇を代表取締役とする(有)アドベントを設立したうえ、これにその一切を代金六億金で売り渡す旨の売買契約書及び(有)アドベントがこれをサービスに賃料一か月五〇万円で賃貸する旨の賃貸借契約書をそれぞれ作成して差押さえの回避を図り、一方、コースも「パレスゴルフサービス」名で営業を開始したが、その実体はパレスゴルフの時と変わるところはなく、コースの売上げも年会収入も、その実質はパレスゴルフに帰属するものであった(なお、被告人吉村は、右差押さえ回避を一層確実なものにするため、翌昭和五四年二月、サービスがパレスゴルフの(有)千代田に対する債務を重量的に引き受けたとして、(有)千代田を債権者とし、サービスを債務者とする前記什器備品に対する強制執行を静岡地方裁判所沼津支部執行官に申し立て、同年三月、これを(有)アドベント名で競落したうえ、再度同社がサービスに賃貸しているものとした。)。

なお、被告人吉村は、昭和五三年六月、パレスゴルフの本店を前記共同ビルに近い渋谷区渋谷二丁目一二番一三号の八千代ビルに移し、また、同年八月、春山に代わってパレスゴルフの社長に就任した。また、被告人吉村は、前記のとおり、根府川コースを(株)日本ゴルフ証券に譲渡したため、これに代わるコースを建設すべく、昭和五三年一二月に、被告人志賀を代表取締役とし、右共同ビルの四階を本店とする資本金二〇〇〇万円の被告人株式会社相模台ゴルフ倶楽部すなわち(株)相模台ゴルフを設立し、その実質経営者として、山梨県北都留郡上野原町で地揚げ業務等を始めた(しかし、この新ゴルフ場建設計画は、地揚げに応じない地主がいたため、その後中断のやむなきに至り、被告人吉村は、昭和五四年八月ころから、(株)相模台ゴルフに(株)千代田の債権債務を引き継がせて金融業を開始した。)。

二 会買券の売却とその売却代金の横領

ところで、被告人吉村は、前記のとおり、債権者会議においてパレスゴルフが債権者に対する返済の原資を作るため会員券を新規に発行、売却することとされていたため、その販売活動を強化する一方、昭和五三年六月ころから、ローデムに対しパレスゴルフ発行の会員券の買取りとその販売方を要請していたが、同年八月九日ころ、ローデムとの間で、パレスゴルフがローデムに対して額面金額五〇万円(うち入会金二〇万円、預託金三〇万円)の会員券二〇〇〇枚を一枚二五万円の仕切り値(代金合計五億円)で売り渡す旨の契約がまとまり、同日ころ、支払期日を同年一〇月三日から昭和五五年三月三日までとするローデム振出しの約束手形一八通(金額は支払期日が最初の三通のもの各二五〇〇万円、次の一二通各三〇〇〇万円、次の一通二五〇〇万円、最後の二通各三〇〇〇万円、手形番号はAB八二一一四ないし八二一三一)を売買代金として受け取り、これを、当時サービスの経理部長でパレスゴルフの経理責任者でもあった請園林に手渡し、以後その取立てを行うよう命じた(なお、ローデムに対しては右契約と同時には会員券は交付されず、ローデムが顧客をみつけ、顧客からの登録申込書と年会費をパレスゴルフに持参するのと引換えに交付されていた。)。

ローデムは、その後、パレスゴルフの会員券二〇〇〇枚を一枚五〇万円程度で売却していたが、ローデムにおいてはその資金繰りに窮し、容易に右手形の決済ができない状態であり、第一回目の決済資金から被告人吉村に懇請して(株)千代田に融資を仰ぐ始末であり、これが昭和五四年にはいっても続き、あたかも(株)千代田がパレスゴルフの債権者に対する債務の返済を行っているかのような状態を呈したため、被告人吉村は、昭和五四年一月末ころ、右のような状態の是正をローデムの副社長戸田に求めたところ、逆に同人から、アイチが前記根府川コースを昭和五三年一〇月ころに突然クローズしたため会員券の売行きが悪い旨苦情を言われ、月々三〇〇〇万円の支払いから月々二〇〇〇万円の支払いに減額して欲しい旨要求されたため、被告人吉村は、一旦はこれを断ったものの、ローデムにその資金で手形を決済させなければならないことから、もしパレスゴルフの債権者に対する前記返済計画に支障を来さなければ、戸田の右要求に応じてもよいと考え直し、その旨を戸田に伝えることとしたが、その際、被告人吉村は、先に受領した金額三〇〇〇万円の手形を金額二〇〇〇万円の手形と金額一〇〇〇万円の手形とに分割した後、うち金額一〇〇〇万円の手形一〇通を自己の用途に充てるため横領しようと企て、そのころ、当時パレスゴルフの経理部長であった請園にパレスゴルフの一か月の返済予定額等を聞き、同人から、ローデムの手形決済が一か月二〇〇〇万円になっても別にあるパレスゴルフの会員課保管の名義変更料等の資金を使用することができれば返済計画に支障を来さない旨を確認したうえ、同人から、前記約束手形のうち支払期日が同年三月三日から一二月三日までの金額三〇〇〇万円のもの一〇通を受け取り、同年二月五日ころ、千代田区麹町三丁目一番地所在のローデムの本社社長室に赴き、同室において、同社社長木下及び戸田に対し、右金額三〇〇〇万円の手形一〇通を返還したうえ、これと引き換えに、同人らから別紙(四)記載の約束手形二〇通を受け取り、これを港区南青山五丁目一一番二号所在の共同ビルの自室に持ち帰ってパレスゴルフのために業務上預り保管中、そのころ、うち番号1ないし10の金額一〇〇〇万円の手形一〇通(金額合計一億円)につき、後記五「罪となるべき事実」1記載の横領行為に及び、その後、うち二通は期日に現金化し、残り八通は、ローデムの申入れにより同年五月二日ころ再度別紙(六)記載の手形一八通に書き替え、期日に現金化するなどして自己の裏資金とした。

三 年会費の徴収、保管とその横領

一方、サービスは、前記ゴルフ場業務委託契約により、パレスゴルフの会員からの年会費の徴収をその名義で行うことができるものとされていたところ、被告人吉村は、昭和五三年八月、パレスゴルフクラブの理事会の承認を得て、昭和五四年分(同月二月から翌昭和五五年一月まで)以降の年会費を正会員につき二万円から三万円に、平日会員につき一万円から一万五〇〇〇円等にそれぞれ値上げし、昭和五三年一〇月二日、渋谷区桜ケ丘町二五番一四号所在の東京相互銀行渋谷支店にサービス名義の普通預金口座を開設したうえ、同年一一月ころ、会員に対し、昭和五四年分の年会費をサービス口座に振込入金するよう通知した。これによって、昭和五三年一一月二五日以降会員からの年会費がサービス口座に振り込まれていったが、被告人吉村は、サービス口座の預金通帳はパレスゴルフの会員課に保管させていたものの、その印鑑は自ら保管し、また、この振込入金された年会費をパレスゴルフの債権者に対する返済として使用する等パレスゴルフないしサービスのために使用する意思はなかった。ところで、被告人吉村は、こうした年会費に対する差押さえ回避をより完全にし、かつ、これを自己の金融業等に流用する余地を作ろうと考え、伊藤忠商事(株)に対する肩代わり弁済分につき、前記のとおり、貸主を(株)千代田、借主をパレスゴルフとする元金一億〇五〇〇万円の金銭消費貸借契約書を作成していたことから、右金員は、自己がパレスゴルフの経営を引き受けた後にパレスゴルフの倒産防止のため出捐したものであり、いわば債権者共通の利益のために出捐したものであるといえるので、この返済をサービス口座に預金されている年会費から受けたように仮装しようと考え、パレスゴルフの会員課長山田行雄に指示するなどして、昭和五四年二月二八日東相・渋谷に吉村金次郎名義の普通預金口座を開設させ、同日、サービス口座から吉村口座に一億〇五〇〇万円を移し替えさせ、同年三月九日、東相・渋谷に対し、パレスゴルフの会員(預託金債権者)を債権者、パレスゴルフを債務者とし、被差押債権を東相・渋谷に対する右サービス名義の預金債権とする債権差押取立命正本が送達されたものの、更に同日の残高八二八七万三六〇〇円を右同様移し替えさせるとともに、以後もサービス口座に入金される年会費は直ちに吉村口座に移し替えられるよう措置させた。こうして、会員からサービス口座に振り込まれる年会費は以後も吉村口座に移し替えられることとなり、前記一億〇五〇〇万円も右年会費と混同するに至った。その後、被告人吉村は、吉村口座の通帳をパレスゴルフの会員課に保管させていたが、その印鑑はいわゆる実印であったこともあって自ら保管し、パレスゴルフのため吉村口座に預金された年会費を業務上預り保管中、別紙(五)一覧表記載のとおり、同年三月三〇日以降四回にわたり、(株)相模台ゴルフや(有)フェニックスの資金等に充てるため、後記五「罪となるべき事実」2記載のとおりの横領行為に及んだ。

四 その余の状況等

被告人吉村は、昭和五四年四月から同年五月までの間代表取締役を辞任して角名を代表取締役とし、また、同年一二月以降再び代表取締役を辞任して川越開発の件で知り合った浜野博敏をこれに就任させていたが、右両名はいずれも名目上の代表取締役に過ぎず、パレスゴルフの実権は被告人吉村が掌握していた。なお、春山は同年八月取締役を辞任した。被告人吉村は、先にオリエント・リース・インテリア(株)が申し立てた函南コースのクラブハウスに対する。抵当権の実行につき、昭和五五年九月二四日静岡地裁沼津支部において、自己が実質経営者であるダミーの(有)辛川商店をして代金三億五八〇〇万円余で競落許可決定を受けさせたが(なお、右代金は競落に先立って、(有)辛川商店が第一順位の抵当権者である(株)千代田からパレスゴルフに対する元金四億 五〇〇万円の貸付債権の譲渡を受けたものとされていたため、相殺処理され、その後、(有)辛川商店は、パレスゴルフに対する残債権を(株)千代田に再譲渡した。)、そのころ会員からの預託金返還請求が相次いでいたため、パレスゴルフも早晩倒産させざるを得ないものと考え、同年一一月、パレスゴルフの函南コースの営業を別会社に移すべくローデムの福田清を代表取締役とする(株)トーカンを設立してその実質経営者となり、同年一二月三〇日、(有)辛川商店から(株)トーカンに前記クラブハウス等を代金三億八〇〇〇万円で売却するとともに、什器備品も(有)アドベントから(株)トーカンに売却し、更に、パレスゴルフの函南コースの営業を翌昭和五六年二月二五日に(株)トーカンに譲渡したうえ、同年四月六日、パレスゴルフを倒産させた。現在函南コースはこの(株)トーカンによって経営されている。

五 罪となるべき事実

被告人吉村は、右のとおり、パレスゴルフの代表取締役として、また、昭和五四年一二月二九日以降は同会社の実質経営者として、同会社の経理、出納その他会社業務全般を統括していたものであるが、

1 約束手形一〇通(金額合計一億円)の横領

同社がローデムに売却した会員券の売却代金たる約束手形を横領しようと企て、前記二記載のとおり、昭和五四年二月五日ころ、港区南青山五丁目一一番二号所在の共同ビル内の自室において、会員券売却代金たる別紙(四)記載の約束手形二〇通(金額合計三億円)をパレスゴルフのため業務上預り保管中、うち番号1ないし10の約束手形一〇通(金額合計一億円)を、ほしいままに自己の用途に充てるため着服して横領し、

2 年会費四億七五〇〇万円の横領

別紙(五)一覧表記載のとおり、昭和五四年三月三〇日から翌昭和五五年三月二四日までの間、前後四回にわたり、前記東京相互銀行渋谷支店において、前記三記載のとおり、同支店吉村金次郎名義の普通預金口座に入金してパレスゴルフのため業務上預り保管中の年会費合計四億七五〇〇万円を、情を知らない山田を介して、ほしいままに自己ないし(株)相模台ゴルフ等の用途に充てるため払戻しを受けてこれを横領し

たものである。

第四被告人吉村に対する所得税法違反事件

(罪となるべき事実)

被告人吉村は、前記のとおり、川越開発の実質経営者、(有)フェニックスの代表取締役及びパレスゴルフの代表取締役ないし実質経営者として、それぞれその業務を行うとともに、自己の資金を(有)千代田及び(株)千代田に貸し付けて右両会社から利息を受け取るなどして収入を得ていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、右貸付け及び受取利息の収受を前記のとおり(株)国際経営経済研究所等の架空金主名義で行い、受取利息収入の全額を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

一 昭和五三年分の実際総所得金額が四億五八八九万〇〇〇〇円(別紙(七)修正損益計算書参照)であったのにかかわらず、昭和五四年三月一三日、大田区雪谷大塚町四丁目一二番地所在の所轄雪谷税務署において、同税務署長に対し、同五三年分の総所得金額が五二五万〇〇〇〇円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額を控除すると二七万〇二〇〇円の還付を受けることになる旨の虚偽の所得税確定申告書(符9)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額三億二八一八万七八〇〇円(別紙(九)税額計算書参照)と右申告税額との差額三億二八四五万八〇〇〇円を免れ、

二 昭和五四年分の実際総所得金額が四億九四八七万四八七五円(別紙(八)修正損益計算書参照)であったのにかかわらず、昭和五五年三月一五日、前記雪谷税務署において、同税務署長に対し、同五四年分の総所得金額が八八五万〇〇〇〇円でこれに対する所得税額が二六万四七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(符10)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額三億五四四八万六三〇〇円(別紙(九)税額計算書参照)と右申告税額との差額三億五四二二万一六〇〇円を免れ

たものである。

第五被告人志賀に対する所得税法違反事件

(罪となるべき事実)

被告人志賀は、前記のとおり、川越開発の実質経営者及び(有)フェニックスの代表取締役として、それぞれその業務を行うとともに、被告人吉村を指導して、同被告人の(有)千代田及び(株)千代田に対する金銭の貸付け及びこれらからの受取利息の収受を(株)国際経営経済研究所等の架空金主の名義で行わせるなどして被告人吉村の脱税のための工作指導を行い、同被告人から脱税工作指導料等として手数料収入を得るなどしていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、右手数料収入を全額除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

一 昭和五三年分の実際総所得金額が二億五八三七万七六九四円(別紙(一〇)修正損益計算書参照)であったのにかかわらず、昭和五四年三月一五日、渋谷区宇田川町一番三号所在の所轄渋谷税務署において、同税務署長に対し、同五三年分の総所得金額が八六六万三六九四円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額を控除すると二六万七三〇二円の還付を受けることになる旨の虚偽の所得税確定申告書(符11)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額一億七六二五万三三〇〇円(別紙(三)税額計算書参照)と右申告税額との差額一億七六五二万〇六〇〇円を免れ、

二 昭和五四年分の実際総所得金額が二億九五〇一万五七五三円(別紙(一一)修正損益計算書参照)であったのにかかわらず、昭和五五年三月一三日、前記渋谷税務署において、同税務署長に対し、同五四年分の総所得金額が一七九九万五五五八円でこれに対する所得税額が一七二万三三〇〇円である旨の所得確定申告書(符13)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額二億〇三七三万四五〇〇円(別紙(三)税額計算書参照)と右申告税額との差額二億〇二〇一万一二〇〇円を免れ

たものである。

第六法人税法違反事件

(罪となるべき事実)

被告人(株)千代田は、世田谷区代田二丁目三一番四号に本店を置き、金融業を目的とする資本金一〇〇〇万円の株式会社、被告人(株)相模台ゴルフは、港区南青山五丁目一一番二号四階に本店を置き、金融業等を目的とする資本金二〇〇〇万円の株式会社、被告人(有)フェニックスは、埼玉県上尾市大字平方字箕輪二六〇六番地一に本店を置き、ゴルフ場の経営、ゴルフ会員券の売買業等を目的とする資本金五〇〇万円の有限会社、被告人有限会社聖観光は、神奈川県川崎市川崎区南町一番地一七に本店を置き、特殊浴場の経営等を目的とする資本金五〇万円の有限会社、被告人有限会社丸商は、杉並区荻窪一丁目一八番三〇号(昭和五四年七月一日以前は神奈川県川崎市川崎区南町一番地一七)に本店を置き、不動産の管理及び賃貸等を目的とする資本金二〇〇万円の有限会社であり、被告人吉村は、前記のとおり、(株)千代田及び(株)相模台ゴルフの実質経営者として、また、(有)フェニックスの代表取締役として、それぞれ右各会社の業務全般を統括するとともに、昭和五一年一一月ころに被告人有限会社聖観光の経営権を買い取って同社の実質経営者となり(昭和五四年三月に右経営権を(株)高木商会に譲渡)、また、昭和五二年一月一九日には被告人有限会社丸商を設立してその実質経営者となり、同社に前記特殊浴場の敷地、建物を所有させるなどし、それぞれ右各会社の業務全般を統括していたものであるが、被告人吉村は、

一 被告人(株)千代田の業務に関し、法人税を免れようと企て、昭和五四年四月一日から昭和五五年三月三一日までの事業年度における同会社の実際所得金額が一億四三四〇万四一三三円(別紙(一三)修正損益計算書参照)であり、これに対する法人税額が五六五二万一六〇〇円(別紙(一四)税額計算書参照)であったのにかかわらず、世田谷区代田二丁目三〇番二三号所在の同会社事務所において、受取利息収入を除外し、欠損金が一三三三万一八一二円である旨の虚偽の損益計算書及び貸借対照表(符1)を作成し、これを同所に備え付けるなどして所得を秘匿し、法人税確定申告書提出期限である昭和五五年五月三一日までに世田谷区松原六丁目一三番一〇号所在の所轄北沢税務署長に対し、法人税確定申告書を提出しないで右期限を徒過し、もって不正の行為により、右同額の法人税を免れ、

二 被告人(株)相模台ゴルフの業務に関し、法人税を免れようと企て、受取利息収入及び債権買取益を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五四年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における同会社の実際所得金額が六三一一万五九五七円(別紙(一五)修正損益計算書参照)であったのにかかわらず、確定申告書提出期限の延長処分による申告書提出期限内である昭和五五年三月三一日、港区西麻布三丁目三番五号所在の所轄麻布税務署において、同税務署長に対し、その欠損金額が五九万六一九八円で納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書(符4)を提出し、もって不正の行為により、同会社の右事業年度における正規の法人税額二四四〇万六〇〇〇円(別紙(一六)税額計算書参照)を免れ、

三 被告人(有)フェニックスの業務に関し、法人税を免れようと企て、架空支払手数料を計上するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五四年四月一日から昭和五五年三月三一日までの事業年度における同会社の実際所得金額が八七九四万七七〇一円(別紙(一七)修正損益計算書参照)であったのにかかわらず、確定申告書提出期限の延長処分による申告書提出期限内である昭和五五年六月三〇日、埼玉県大宮市土手町三丁目一八四番地所在の所轄大宮税務署において、同税務署長に対し、その欠損金額が一億五八五五万六〇一〇円で納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、同会社の右事業年度における正規の法人税額二六四七万三三〇〇円(別紙(一八)税額計算書参照)を免れ、

四 被告人有限会社聖観光の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上収入を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五三年四月一日から昭和五四年三月三一日までの事業年度における同会社の実際所得金額が四五一二万六一六九円(別紙(一九)修正損益計算書参照)であったのにかかわらず、同社の経理担当者高橋において、確定申告書提出期限の延長処分による申告書提出期限内である昭和五四年六月三〇日、神奈川県川崎市川崎区榎町三番一八号所在の所轄川崎南税務署において、同税務署長に対し、所得金額及び納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書(符5)を提出し、もって不正の行為により、同会社の右事業年度における正規の法人税額一七二一万〇四〇〇円(別紙(二〇)税額計算書参照)を免れ、

五 被告人有限会社丸商の業務に関し、法人税を免れようと企て、昭和五三年四月一日から昭和五四年三月三一日までの事業年度における同会社の実際所得金額が五五二四万五五二三円(別紙(二一)修正損益計算書参照)であり、これに対する法人税額が二一二五万八〇〇〇円(別紙(二二)税額計算書参照)であったのにかかわらず、昭和五四年三月三〇日ころ、川崎市川崎区京町二丁目二番一号所在の(株)高木商会事務所において、同会社代表取締役高木丈介こと朴南会との間で、同会社に売却した被告人有限会社丸商所有の土地付建物等につき、実際の売買価格より低い価格で売買した旨の内容虚偽の売買契約書を作成するなどして所得を秘匿し、法人税確定申告書提出期限の延長処分による申告書提出期限である昭和五四年六月三〇日までに前記川崎南税務署長に対し、法人税確定申告書を提出しないで右期限を徒過し、もって不正の行為により、右同額の法人税を免れ

たものである。

(証拠の標目)

以下、上段略号は下段のものを示す。

(供) 当公判廷における供述

(検) 検察官に対する供述調書

(執) 報告書又は捜査報告書

また、例えば、

「甲1」は、検察官請求証拠書証甲番号1を、

「乙1」は、同乙番号1を、

「弁1」は、弁護人請求証拠書証番号1を、

「職1」は、職権による証拠調べの番号1を、

「符1」は、昭和五六年押第一七五〇号の符番号を

それぞれ示し、更に、例えば、「昭和五六年九月二九日付」と書くべきときも、単に「56・9・29」と略記し、

調書の丁数は、全て本文の丁数を示した。

判示第二の七の1の事実及び同第二の一ないし六のうちこれと関係する事実につき

1 被告人吉村の(供)(第一四回(但し、弁論分離前のもの)、第四七回、第五二回ないし第五八回、第六三回及び第六四回公判。但し、第五二回及び第五六回公判の各供述中証人尋問として並行実施した部分並びに第五四回公判の供述は、被告人志賀の関係では証人尋問調書として)

2 被告人志賀の(供)(第一四回、第二九回ないし第四六回、第六三回及び第六四回公判)

3 被告人吉村の56・9・29(乙18)、56・9・30(乙19)及び56・10・13(乙20)各(検)

4 前同57・5・8(乙22)、57・5・9(九丁のもの)(乙23)、57・5・9(六丁のもの)(乙25)及び57・5・6(乙43)各(検)(いずれも被告人吉村の関係で)

5 被告人志賀の57・5・2(乙27)及び57・5・3(乙28)各(検)

6 前同57・5・4(検)(乙29)

7 前同57・5・5(乙30)(但し、被告人吉村の関係で第一項及び第二項を除く。)、57・5・6(乙31)(但し、被告人吉村の関係で第四項及び第七項を除く。)及び57・5・8(乙32)(但し、被告人吉村の関係で第一項及び第二項を除く。)各(検)

8 前同57・5・11(検)(三丁のもの)(乙35)(被告人志賀の関係で)

9 証人岡野今雄、同戸田浩、同吉村勝彦、同佐藤三郎、同吉原美佐雄、同島掛健、同加藤隆三(但し、第二四回公判のもの)、同関口正鑅、同請園林(但し、第五九回公判のもの)、同発知克己及び同石橋由紀子の各(供)

10 岡野今雄の56・9・27(検)(甲153)(但し、第九項、第一二項及び第一三項を除く。)

11 前同56・9・30(検)(甲154)(但し、第九項ないし第一二項を除く。)

12 前同56・10・1(検)(甲155)(但し、第六項の末尾の一〇行を除く。)

13 前同56・10・16(検)(甲157)(但し、第五項の末尾の二三行、第九項の末尾の三〇行及び第一一項ないし第一八項を除く。)

14 前同57・4・25(検)(甲158)(但し、第三項ないし第七項及び第九項を除く。)

15 前同57・4・25(検)(四丁のもの)(甲159)

16 前同検察事務官に対する供述調書(甲160)

17 関口正鑅の56・9・25(検)(甲161)(但し、第三項及び第四項を除く。)

18 前同56・9・28(甲162)及び57・4・30(甲163)各(検)

19 戸田浩の57・5・8(検)(甲164)(但し、被告人吉村の関係で第一四項、第一八項及び第二二項を除く。被告人志賀の関係で第二二項を除く。)

20 前同57・5・8(検)(四丁のもの)(甲165)(被告人志賀の関係で)

21 古川公也の57・5・10(検)(甲166)

22 島掛健の57・4・22(検)(甲167)(但し、第四項及び第六項を除く。)

23 前同57・4・22(検)(甲168)

24 城石定恒の(検)(甲169)

25 城石幸子の(検)(甲170)

26 落合敦子の56・9・25(検)(甲171)(但し、第一五項の一行目から四行目まで及び同一二行目から一四行目までの各部分を除く。)

27 前同56・9・30(検)(甲172)(但し、第一四項を除く。)

28 前同56・10・13(甲173)及び57・5・7(甲174)各(検)

29 吉村勝彦の(検)(甲175)(但し、第五項を除く。)

30 山田行雄の56・9・27(甲176)及び56・9・28(甲177)各(検)

31 吉原美佐雄の(検)(甲179)

32 石丸逸郎の(検)二通(甲180、181)

33 仙谷由人の(検)(甲183)

34 戸村一男の(検)(甲184)

35 高橋伸幸の56・9・29(検)(九丁のもの)(甲186)

36 宮本美知子の(検)三通(甲188ないし190)

37 柴崎和子の57・5・6(検)(甲191)

38 渡辺英一の(検)(甲192)

39 箕村佳夫の(検)(甲197)

40 小林士郎の(検)(甲198)

41 札幌法務局留寿郎出張所登記官西尾英之作成の登記簿謄本(甲201)

42 川越税務署長榎本勤作成の証明書(甲203)

43 副検事森田泰生作成の(報)(甲204)

44 浦和地方法務局川越支局登記官今泉栄一郎作成の閉鎖登記簿謄本(甲261)及び閉鎖役員欄用紙謄本(甲262)

45 東京法務局港出張所登記官松村安雄作成の56・9・18登記簿謄本(甲263)及び同日付閉鎖役員欄用紙謄本(甲264)

46 加藤隆三ほか二名共同作成の会社整理手続開始決定申立書(写)(添付書類(写)及び疎甲第一号証ないし第一七号証(写)を含む。)(甲287)及び保全処分申立書(写)(申288)

47 裁判官伊藤俊光作成の決定書(写)(甲290)

48 浦和地方法務局川越支局長松村安雄作成の回答書(甲318)

49 東京相互銀行渋谷支店長長谷安弘作成の回答書(甲319)

50 検察事務官丸浦岩夫作成の(報)(甲320)

51 浦和地方法務局上尾出張所登記官井上痕治作成の56・5・1登記簿謄本(弁45)

52 東京法務局登記官浜田弘作成の登記簿謄本(弁62、職32)

53 東京法務局世田谷出張所登記官小野和雄作成の56・11・12登記簿謄本(弁63、職33)

54 当座勘定照合表六葉(写)(弁88ないし93、職55ないし60)

55 押収してある取締役会議事録(写)六枚(符15、23、24、30、35及び39)、取締役会議事録(認証ある写)一二枚(符16ないし20、26ないし29、31、32及び36)、取締役会議事録六枚(符21、22、33、34、37及び38)、取締役会議事録(二社分が転写され一方にのみ認証がある写)一枚(符25)、新株発行についての取締役会議事録一枚(符40)、川越初雁カントリークラブ預り金証書(写)兼受領書一枚(符41)、川越初雁カントリークラブ預り金証書(写)(二六枚)一袋(符42)、昭和五二年度元帳一綴(符43)、譲渡承諾書二枚(符44及び46)、念書三枚(符45、47及び64)、取締役会議事録(写)ファイル付一枚(符48)、総勘定元帳一綴(符49)、預り証(写)一枚(符50)、約束手形の発行控三通及び名刺を転写した書面一枚(符51)、約束手形二通分を転写し、それに添え書がしてある書面(写)一枚(符52)、約束手形二通を表面のみを転写してある書面一枚(符53)、元帳(53/7期)一綴(符54)、川越開発関係書類綴一綴(符55)、譲渡証一通(符56)、一般債務一覧表等一冊(符57)、契約書(写)一通(符58)、ファイルノート一綴(符59)、川越会員名簿一綴(符60)、証券登録台帳一綴(符61)、経費帳(53/9~53/12)一綴(符62)、振替伝票一綴(符63)、元帳(東京支社)(52/12~54/3)一綴(符66)、旅券(志賀暢之名義)一冊(符67)、53年度元帳(川越開発)一綴(符68)、54年度元帳(川越開発興業)一綴(符69)、元帳(本社)(53/4~54/3)一綴(符70)、銀行帳(東京分)(52/12~54/3)一綴(符71)、決算調査資料一綴(符72)、貸付金元帳一綴(符73)、伝票綴一綴(符74)

判示第二の七の2の事実及び同第二の一ないし六のうちこれと関係する事実につき

前記番号1ないし5、7ないし19及び21ないし55の各証拠のほか、

56 被告人吉村の57・5・5(検)(乙21)(被告人吉村の関係で)

判示第二の七の3の事実及び同第二の一ないし六のうちこれと関係する事実につき

前記番号1ないし5、7ないし19及び21ないし55の各証拠

判示第三の五の1の事実及び同第三の一ないし四のうちこれと関係する事実につき

57 被告人吉村の(供)(第一一回ないし第一四回及び第六三回公判。但し、第一四回公判の供述については、弁論分離後のもの)

58 第一回及び第二回公判調書中被告人吉村の各供述部分

59 被告人吉村の56・10・5(乙8)及び56・10・14(乙12)各(検)

60 前同56・10・6(検)(乙9)

61 第三回及び第四回公判調書中証人請園林の各供述部分

62 第四回公判調書中証人山田行雄の供述部分

63 第六回公判調書中証人高野登の供述部分

64 第七回公判調書中証人近藤高嶺の供述部分

65 第八回公判調書中証人春山敏郎及び同小山倭久夫の各供述部分

66 証人加藤隆三の(供)(但し、第九回公判のもの)

67 春山敏郎の(検)(甲70)(但し、第一二項の一行目から三一行目までの部分を除く。)

68 松枝福美の56・9・20(検)(甲72)

69 請園林の56・9・22~23(検)(甲73)(但し、第二〇項を除く。)

70 前同56・10・8(検)(甲74)(但し、第二項の四五行目から五八行目まで及び第五項の一五八行目から同項末行までの各部分を除く。)

71 前同56・10・13(検)(五丁のもの)(甲75)

72 皆川修二の56・10・8(甲76)及び56・11・20(甲77)各(検)

73 戸田浩の56・9・17(検)(甲78、143)

74 古川公也の56・10・13(検)(甲79)

75 足立英美の56・9・16(甲80)及び56・10・9(甲82)各(検)

76 山田行雄の56・9・25(検)(甲81、144)

77 桜井秀人の(検)(甲83)

78 請園林の56・9・23~24(検)(甲84)(但し、第六項、第七項の七六行目から八一行目までの部分、第八項の四三行目から五五行目までの部分、同項八六行目から一〇四行目までの部分及び第一四項を除く。)

79 池上義雄の56・9・14(検)(甲85、145)

80 出口一男の(検)(甲86、146)

81 松浦昭の56・9・16(検)(甲87)

82 前同56・9・21(甲88)及び56・10・8(甲89)各(検)

83 戸田浩の56・9・18(甲90、147)及び57・1・14(甲142)各(検)

84 新橋国栄の(検)(甲91)

85 木下博道の(検)(弁29)

86 東京法務局登記官川又忠信作成の登記簿謄本(甲108)、閉鎖役員欄用紙謄本五通(甲109ないし113)及び閉鎖目的欄用紙謄本(甲114)

87 東京法務局渋谷出張所登記官佐藤幸雄作成の閉鎖役員欄用紙謄本(甲115)及び登記簿謄本(甲116)

88 監査法人サンワ東京丸の内事務所飯島大弘ほか四名共同作成の「(株)パレスゴルフクラブ調査報告の事」と題する書面(写)(弁8)

89 吉本五郎作成の書簡四通(10及び13ないし15)

判示第三の五の2の事実及び同第三の一ないし四のうちこれと関係する事実につき

前記番号57ないし59、61ないし72及び86ないし89の各証拠のほか

90 被告人吉村の56・10・10(乙10)及び56・10・12(乙11)各(検)

91 第三回公判調書中証人松浦昭の供述部分

92 浜野博敏の(検)(甲71)

93 皆川修二の56・10・12(検)(甲92)

94 松浦昭の56・11・18(検)(甲93)

95 松枝福美の56・9・19(検)(甲94)

96 山田行雄の56・10・13(甲95、148)、56・9・23(甲100、149)及び56・10・10(甲100)各(検)

97 高野登の(検)二通(甲96、102)

98 松浦昭の56・10・13(甲97)及び56・9・14(甲98)各(検)(但し、甲98は、八項四八行目から同項末行までの部分、九項全部及び一〇項一行目から同行一一行目までの部分を除く。)

99 笠松辰雄の(検)(甲99)

100 二階堂幹夫の(検)(甲103)

101 在権の(検)(甲104)

102 池上義雄の56・10・12(検)(甲105)

103 請園林の56・10・13(八丁のもの)(甲106)及び56・10・9(甲107)各(検)

104 山口暉の56・9・24(甲140)及び56・9・30(甲141)各(検)

105 加藤隆三の56・9・18(検)(甲151)

106 検察事務官宇佐美忠章作成の56・11・24(報)(甲131)

108 駿河銀行麻布広尾支店宮城島英喜作成の回答書(甲139)

109 橋口輝夫(弁2)及び大崎雄二(弁3)各作成の郵便送達報告書(写)

110 押収してある済普通預金通帳(東相/渋谷No.〇七三七七二(株)パレスゴルフサービス)一一冊(符7)

111 前同済総合口座通帳(東相/渋谷No.一〇七七七六吉村金次郎)二冊(符8)

判示第四の事実につき

前記番号1ないし7、9ないし19、21ないし45、48ないし50、52ないし54、56ないし62、73、75ないし81、85、90、91、96ないし103、106、107及び111の各証拠並びに後記132の証拠のほか、

112 被告人吉村の(供)(第一四回公判。但し、弁論分離前のもの)

113 被告人吉村の56・9・29(抄本)(乙13)、56・10・26(一〇丁のもの)(乙14)及び57・5・9(五丁のもの)(乙24)各(検)

114 証人高橋伸幸の(供)

115 柴崎和子の56・10・12(検)(甲118)

116 高橋伸幸の56・9・29(検)(一七丁のもの)(甲119)

117 請園林の56・10・29(検)(甲120)

118 前同作成の申述書(甲130)

119 高橋伸幸の57・5・5(検)(甲187)

120 皆川修二の57・4・26(検)(甲199)

121 山川和夫の(検)(甲200)

122 収税官吏小池哲男作成の受取利息等(甲121)及び架空名義等貸付金(甲122)に関する各調査書

123 収税官吏千葉和平作成の商品取引売買益金調査書(甲128)

124 横浜銀行鵠沼支店田辺保雄(甲123)、太陽神戸銀行渋谷支店清水選一(甲124)、第一勧業銀行渋谷支店業務センター小坂完(甲125)、富士銀行渋谷支店沢田光男(甲126)及び富士銀行青山支店長芳賀洋典(甲127)各作成の証明書(添付の書類を含む。)

125 検察官馬場俊行作成の56・10・30(報)(甲129)

126 検察官山崎基宏作成の57・5・11支払手数料(甲215)及び支払利息(一丁のもの)(甲217)に関する各(報)

127 前同作成の57・5・11支払利息に関する(報)(二丁のもの)(甲216)

128 預金口座開設申込書(写)二通(弁66、67)

129 押収してある昭和五三年分及び昭和五四年分の所得税の確定申告書各一通(符9及び10)

130 前同普通預金通帳(芝信/代沢)一通(符65)及び普通預金払戻請求書一袋(符77)

判示第五の事実につき

前記番号1ないし3、5ないし45、48ないし50、52ないし54、114、119ないし120(但し、127は第五の二の事実)、127及び130(但し、130のうち符65は職34)の各証拠のほか、

131 被告人志賀の(供)(第一五回公判)

132 被告人志賀の57・5・8~9(検)(乙33)

133 前同57・5・10(乙34)及び57・5・11(五丁のもの)(乙36)各(検)

134 伊藤久美の(検)(甲193)

135 志賀雅之の(検)(甲195)

136 門倉智三郎の(検)(甲196)

137 山川和夫作成の上申書(甲202)

138 検察官山崎基宏作成の57・5・11事業収入(甲205、但し、第五の一の事実)、受取利息(甲206)、関口正鑅より受領の会員券(甲207)、支払利息(甲208)、商品取引損益(甲209、但し、第五の二の事実)、会員券関係収入(甲210)、受取手数料(甲211)、鉢形関係収入(甲212、但し、第五の二の事実)、債権譲渡収入(甲213、前同)及び分離長期譲渡所得(甲214、前同)に関する各(報)

139 押収してある53年分の所得税の確定申告書一通(符11)及び所得税青色申告決算書一通(符12)(但し、いずれも第五の一の事実について)

140 押収してある54年分の所得税の確定申告書一通(符13)及び所得税青色申告決算書一通(符14)(但し、いずれも第五の二の事実について)

判示第六の一の事実につき

141 第一回公判調書中被告人吉村の供述部分

142 第一回公判調書中被告人株式会社千代田リース代表取締役高橋伸幸の供述部分

143 被告人吉村の56・9・17(乙2)及び56・9・20(乙3)各

144 高橋伸幸の56・9・16(甲12)及び56・9・18(甲13)各(検)

145 山田行雄の56・9・19(検)(甲14)

146 戸田浩の56・10・13(検)(甲15)

147 収税官吏小池哲男作成の56・9・1貸付金及び受取利息(甲4)並びに56・9・2受取利息( 羽ロイヤルから譲り受けた債権関係)(甲5)、支払利息(甲6)、雑益(甲9)及び宮崎準之助競売物件(甲10)に関する各調査書

148 前同作成の56・9・2債権譲渡に関する調査書(甲11)

149 収税官吏藤野八男治作成の経費に関する調査書(甲7)

150 検察官上田広一作成の56・9・22(報)(甲8)

151 検察官山崎基宏作成の57・5・24(報)(甲150)

152 東京法務局世田谷出張所登記官小野和雄作成の56・11・14登記簿謄本(甲1)及び閉鎖役員欄用紙謄本(甲3)

153 東京法務局港出張所登記官宇津木良二作成の閉鎖登記簿謄本(謄本)(甲2)

154 押収してある法人税確定申告書(55/3期)一袋(符1)、法人税中間申告書(54・4・1~55・3・31)一袋(符2)及び法人税確定申告書(54/3期)一袋(符3)

判示第六の二の事実につき

前記番号141、145及び148の各証拠のほか、

155 第一回公判調書中被告人株式会社相模台ゴルフ倶楽部代表取締役吉村勝彦の供述部分

156 被告人吉村の56・9・15~16(検)(乙4)

157 請園林の56・9・14~15(検)(甲20)

158 池上義雄の56・9・12(甲21)及び56・9・13(甲22)各(検)

159 小野寺いよ子の(検)(甲23)

160 請園林ほか一名共同作成の上申書(甲18)

161 収税官吏小池哲男作成の56・9・2架空経費に関する調査書(甲19)(但し、「家賃分」とある部分を除く。)

162 東京法務局港出張所登記官松村安雄作成の56・11・14登記簿謄本(甲16)及び56・7・6閉鎖役員欄用紙謄本(甲17)

163 押収してある法人税確定申告書一袋(符4)

判示第六の三の事実につき

前記番号141の証拠のほか、

164 第一回公判調書中被告人有限会社フェニックス代表取締役吉村勝彦の供述部分

165 被告人吉村の56・9・14(検)(六一丁のもの)(乙5)

166 証人請園林の(供)(但し、第一〇回公判のもの)

167 請園林の56・9・13~14(甲26)及び56・9・21(甲27)各(検)

168 山田行雄の56・9・21(検)(甲28)

169 足立英美の56・9・15(検)(甲29)

170 収税官吏小池哲男作成の56・9・2支払手数料等(甲30)並びに56・9・18賃借料(甲33)及び繰越欠損金控除(甲34)に関する各調査書

171 国税査察官千葉和平作成の(報)(甲32)

172 大宮税務署長内田稔作成の証明書(添付の書類を含む。)(甲35)

173 検察事務官小平辰夫作成の56・9・22(報)(甲36)

174 浦和地方法務局上尾出張所登記官井上痕治作成の56・7・4(甲24)及び56・11・13(甲25)各登記簿謄本

判示第六の四の事実につき

前記番号141の証拠のほか、

175 被告人吉村の56・9・14(検)(二二丁のもの)(乙6)

176 高橋伸幸の56・9・13~14(甲43)及び56・9・14(甲44)各(検)

177 鈴木芳昭の(検)(甲45)

178 山口暉の56・9・13(検)(甲47)

179 前同56・9・21(検)(甲48)

180 検察官上田広一作成の56・9・22(報)(甲39ないし42及び46)

181 横浜地方法務局川崎支局登記官松本操作成の登記簿謄本(甲37)及び閉鎖役員欄用紙謄本(甲38)

182 押収してある54/3期法人税確定申告書一袋(符5)及び申告期限の延長の特例の申請書一袋(符6)

判示第六の五の事実につき

前記番号141及び179の各証拠のほか、

183 第一回公判調書中被告人有限会社丸商代表取締役山田行雄の供述部分

184 被告人吉村の56・10・23(検)(乙7)

185 山口暉の56・10・28(検)(甲53)

186 高橋伸幸の56・10・27(検)(甲54)

187 外山六太郎の(甲55)

188 船津弘光の(検)(甲56)

189 朴南会の(検)(甲57)

190 検察官上田広一作成の56・10・30(報)(甲51)

191 収税官吏小池哲男作成の56・3・18建物付属設備工事に関する調査書(甲52)

192 検察事務官宇佐美忠章作成の56・10・30(報)(甲58)

193 東京法務局杉並出張所登記官倉持秀男作成の登記簿謄本(甲49)

194 横浜地方法務局川崎支局登記官落合昭治作成の登記簿謄本(甲50)

判示第六の冒頭の事実につき

前記番号1及び57の各証拠(いずれも被告人吉村の関係で)並びに同143、156、165、175及び184の各証拠

判示第一の事実につき

前記番号1、2、57、114及び143の各証拠のほか、

195 被告人吉村の56・9・9(検)(乙1)

196 被告人志賀の57・4・29(検)(乙26)

197 大阪法務局登記官高田博作成の登記簿謄本(弁53、職23)

(弁護人の主張に対する判断等)

第一概要

本件は、被告人両名に対する川越開発事件、被告人吉村に対するパレスゴルフクラブ事件、被告人両名に対する各所得税法違反事件、被告人吉村の経営会社にかかる各法人税法違反事件に大別される。これに対する各被告人の弁護人の主張は多岐にわたり、公判進行の過程でも変遷がみられるが、弁護人が特に力点を置いて争ったのは、川越開発事件と被告人志賀に対する所得税法違反事件等であり、法人税法違反事件に至っては情状のみの弁論がなされて終わっている。当裁判所は、六七回の公判を重ね審理の結果、被告人志賀に対する所得税法違反事件につき一部検察官の主張を排斥したものの、その余の検察官主張は是認できるとの結論に達した。その理由につき以下順を追って補説する。

第二川越開発事件について

一 ローデム等に売却された会員券について

1 弁護人の主張等

(一) 被告人吉村関係

被告人吉村の弁護人は、判示第二につき、「被告人吉村は川越開発の新規発行にかかる会員券を売却したことはない。同被告人が売却したのは、(有)千代田が保有する担保会員券一七六〇枚及び被告人吉村がアイチから譲り受けた担保会員券八五〇枚並びに被告人志賀の日本デベロに対する一億三五〇〇万円の貸付債権の元本又は利息の弁済として一枚二七万円の割合で同被告人が発行、交付を受けた三〇〇枚の会員券の合計二九一〇枚のうちの二八一〇枚である。したがって、この売却代金はもともと被告人吉村らに帰属するものであるから、被告人吉村がこれを領得したとしても横領罪は成立しない。すなわち、

(1) (有)千代田は、<1>昭和五二年七月一九日、川越開発に対して二三〇〇万円を貸し付け、その担保として四六〇枚の会員券を受け取ったが、右貸付金が同年一〇月二〇日に完済となった後もこれを川越開発に返還せず、新たに貸付けを行うことがあるとして、岡野の了承のもとに(有)千代田において保管し、<2>同年八月一一日、川越開発に対して三四〇〇万円を貸し付け、その担保として右四六〇枚とは別に一〇〇〇枚の会員券を受け取ったが、右貸付金が完済となった後も前同様これを(有)千代田において保管し、<3>同年九月二七日、川越開発に対して一〇〇〇万円を貸し付け、その担保として五〇枚の会員券(いわゆる乱番のもの)を受け取ったが、右貸付金が同年一〇月一一日に返済された後も前同様これを(有)千代田において保管し、<4>川越開発に対して、同年一一月一二日に三〇〇〇万円を、また、同月一八日に二〇〇〇万円をそれぞれ貸し付け、右各貸付金の担保として前記<2>の会員券一〇〇〇枚を充てたが、この他に、被告人吉村は、右貸付金が返済不能となった場合には直ちに担保会員券の売却によってその回収を図ろうと考え、右一一月一二日及び一八日の各貸付けの際、それぞれ、いわゆる乱番の会員券一五〇枚及び一〇〇枚を担保として受け取った。

(2) こうして、川越開発が第一回目の不渡りを出した昭和五二年一一月二五日当時、(有)千代田は、川越開発に対する合計五〇〇〇万円の貸付金の担保として一二五〇枚の会員券を保有し、また、正規の担保会員券としてではないが、前記<1>及び<3>の合計五一〇枚の会員券を保管していたところ、被告人吉村は、同年一一月三〇日に(有)千代田が川越開発に対して三〇〇〇万円を追加して貸し付けた際、岡野の承諾を得て、右五一〇枚の会員券を担保とし、以後、一七六〇枚の担保会員券を保有することとなった。

(3) 被告人吉村は、昭和五三年一月一四日アイチの川越開発に対する元金四〇〇〇万円の貸付債権を肩代わりしたことから、アイチから同社の保有する担保会員券八五〇枚を譲り受けることとなり、同年二月二〇日、同社の社長森下から八五〇枚の会員券を受け取った。

(4) 以上のように、ローデムとの間で被告人吉村が二〇〇〇枚の会員券の売買契約を結んだ昭和五三年一月二一日現在、被告人吉村及び(有)千代田には合計二六一〇枚の処分可能な担保会員券があったため、被告人吉村は、(有)千代田の保有する一七六〇枚とアイチ譲受分八五〇枚中の二四〇枚の合計二〇〇〇枚を担保権の実行としてローデムに売却することとし、本来はこの担保会員券二〇〇〇枚をローデムに手渡すべきであったが、当時、川越開発の会員券が新会員券に切り替えられていたため、被告人吉村は、右二〇〇〇枚の担保会員券に代えて、これと観念的に差し替えられた新会員券二〇〇〇枚をローデムに交付したものである。したがって、この新会員券二〇〇〇枚は担保会員券にほかならず、その売却代金たる別紙(一)記載の約束手形二〇通は、被告人吉村ないし(有)千代田に帰属するものである。

(5) 被告人吉村は、このほか、担保会員券を石丸らに売却させていたが、新会員券への移行に伴い、同人らにも担保会員券と観念的に差し替えられた新会員券を売却させ、そして、昭和五三年五月一二日以降は、この売却代金を酒井口座に入金させていたものである。したがって、この酒井口座の預金は担保会員券の売却代金にほかならず、被告人吉村ないし(有)千代田に帰属するものである。

(6) 更に、被告人吉村は、昭和五三年一二月ころ、ローデムから三〇〇枚の会員券の追加売却を申し込まれたため、その旨被告人志賀に相談したところ、同被告人が自分の債権の分があるというので、同被告人の日本デベロに対する元金一億三五〇〇万円の貸付債権の元本又は利息の弁済に充てる趣旨で、一枚二七万円で三〇〇枚の新会員券を発行してその交付を川越開発から受け、これを被告人志賀の依頼により売却したものである。したがって、この会員券の売却代金たる別紙(三)記載の約束手形三通は被告人志賀に帰属すべきものである。

(7) なお、(有)千代田の保有する担保会員券については、期限までに返済がないことを停止条件として、その処分権限が(有)千代田に付与されており、(有)千代田がこれを売却処分した場合には、後にその債権額との清算を行う義務があるのは格別、担保会員券の売却代金そのものは当初から(有)千代田に帰属するものであった。このことは、アイチの保有していた担保会員券についても同様である。

(8) 以上のとおり、被告人吉村が売却した新会員券は、いずれも、川越開発のものではないから、その売却代金も川越開発のものではなく、被告人吉村がそれを自己又は被告人志賀のために領得したとしても、業務上横領罪は成立しない。」

旨主張する。なお、この主張にあたって、弁護人は、意識的に「会員券」を「会員権」と、また、その「枚数」を「口数」と変えて表現している。

そして、被告人吉村も、当公判廷において右と同旨の供述をし、更に、会員券売却代金を担保会員券のない被告人志賀と分配した理由につき、「担保会員券の売却は、コースが開かれ、運営されていることが絶対条件であり、これを担当、遂行してくれていたのが被告人志賀であったから、担保会員券の売却代金を一人占めすることはできず、謝礼ないし手数料の趣旨で同被告人にその半分を分け与えたものである。」と、また、本来ならば全額被告人志賀の取得となるべき前示(6)の代金たる別紙(三)の約束手形三通につき、その半分を逆に自己がもらった理由につき、明確を欠くものの、これまで被告人志賀に折半して与えて来たことの代償である旨供述している(第五二回公判)。

(二) 被告人志賀関係

その趣旨に明確を欠く点がないではないが、被告人志賀の弁護人は、被告人吉村が売却した判示第二の七の1及び2の会員券の性格については被告人吉村の弁護人が主張するところを援用するもののようである。しかし、判示第二の七の3の会員券三〇〇枚については、「被告人吉村の弁護人が主張するような被告人志賀が一枚二七万円で発行、交付を受けた会員券ではない。」というのであり、以上いずれについても、「被告人志賀は、当時、被告人吉村が担保会員券を売却したものと考えていた。被告人志賀が右各会員券売却代金の分配を被告人吉村より受けたのは、同被告人との間で担保共用の約束があったからであり、被告人吉村の弁護人が主張するように、被告人吉村からの謝礼等として受け取ったものではない。この担保共用の約束とは以下のようなものである。すなわち、判示にもあるように、被告人吉村は昭和五二年一一月三〇日川越開発に三〇〇〇万円を融資したのであるが、その際被告人両名の間で、被告人志賀の有する担保は不動産など確実であるけれども時間的、経済的にも犠牲が大きいのに対して、被告人吉村の担保は会員券で、倒産により紙切れとなる不確実なものの反面、これを売却して債権を回収したほうが時間的にも早く、経費も安く済む有利さがあり、両者の担保に一長一短があるから、互いの担保を実行したときには、両者の債権の比率に応じて債権を回収するとの話合いがなされた。その当時、被告人志賀の債権一億三五〇〇万円に対して、被告人吉村の債権は第一回不渡りの時の五〇〇〇万円に加えて、三〇〇〇万円の合計八〇〇〇万円であったところ、その後被告人吉村が川越開発の従業員年末手当、未払い買掛債務の支払いのため五〇〇〇万円ほどを支出したため、昭和五三年一月にはいってから、被告人志賀は、両者ほぼ平等の債権額を川越開発ひいては日本デベロに対して有すると考えていた。」などと主張する。

そして、更に、被告人志賀の弁護人は、「仮に被告人吉村の売却した会員券が担保会員券ではなく、川越開発の新規発行にかかる会員券であったとしても、判示第二の七の1については、被告人志賀は、昭和五三年二月三日に浦和地裁川越支部の判示保全命令が出たことから、差し当たり右会員券売却代金を川越開発の債権者からの手形振込みに対する決済資金(防戦資金)として準備しておく必要がなくなったため、同月下旬ころ、被告人吉村と相談のうえ、右川越開発の新規発行にかかる会員券の売却を被告人吉村の保有する担保会員券の売却に振り替え、こうして担保会員券の売却代金に振り替えられることとなった約束手形を、前記担保共用の約束に従って被告人吉村と分配したものである。その余の判示第二の七の2及び3については、被告人志賀は担保会員券の売却と考えていたため、被告人吉村より売却代金の分配を受けたものづある。いずれにしても、被告人志賀は、債権回収の意思で本件各会員券売却代金の分配を受けたものであり、なお、当時、ローデムに対する右会員券売却代金は二億円であると思っていた。以上のとおりであって、被告人志賀に横領罪は成立しない。もちろん、ハワイにおいて被告人志賀が被告人吉村と川越開発の新規発行の会員券売却代金を横領しようとの共謀をなした事実もない。」などと主張し、被告人志賀も、当公判廷において、債権回収の意思であった旨を縷々説明するとともに、ハワイで被告人吉村から川越開発の新規発行の会員券の売却について相談、報告を受けたこともなければ、その売却代金の横領を共謀したこともない旨供述している。そして、この供述は、捜査段階からほぼ変わるところがない。

2 当裁判所の判断

(一) はじめに

検察官主張の論拠を各個別に検討すると、後述のように疑問を入れる余地があって首肯できない点も見受けられるが、関係証拠によれば、検察官の主張は結論において是認することができる。

(二) 検察官主張の論拠等で是認できない主な点

(1) 担保会員券の枚数について

本件横領のもとになる売却会員券そのものが、川越開発から担保として差し入れられた、いわゆる旧券ではなく、いわゆる新券すなわち新規発行の会員券であることは争いがなく、その枚数も三〇〇〇枚近くに達する。被告人両名特に被告人吉村の弁解は、これら売却新券の大半は担保に差し入れられた旧券を差し替えたもので、担保会員券であることに変わりはないというのであって、果たして、それだけの枚数の旧券が担保として差し入れられていたか否かが主要な争点の一つとされて来た。そこで、判示第二の認定事実をふまえ、更に関連する事実関係について検討すると、関係証拠によれば、次の事実が明らかとなる。

(ア) (有)千代田の保有枚数(昭和五二年一一月二五日現在)

(a) ビバリー商事は、昭和五〇年六月三〇日ころから川越開発を連帯保証人ないし連帯債務者として、日本デベロに対し金銭を貸し付けており、昭和五二年七月九日現在の日本デベロに対する貸付残元金は、三口合計一億三五〇〇万円であったが、被告人志賀は、同日、判示のとおり、うち一億円を肩代わりするとともに日本デベロに対し三五〇〇万円を貸し付けたことにして、債権額一億三五〇〇万円の債権者となった。

(b) その後、(有)千代田は、<1>同年七月一九日ころ、川越開発を連帯保証人として、日本デベロに対し二三〇〇万円を貸し付け、その担保として、記番号、名宛人等が白地の会員券四六〇枚を、その記番号が甲四〇〇〇から甲四四五九に相当するものとして受け取ったが、同年一〇月二〇日に右貸付金が完済となった後も右担保会員券をそのまま手許に保管し、<2>同年八月八日ころ、前同様日本デベロに対し三四〇〇万円を貸し付け、その担保として、前同様の会員券一〇〇〇枚を、その記番号が甲二五〇〇から甲三四九九に相当するものとして受け取ったが、同年一〇月一七日ころに右貸付金が完済となった後も右担保会員券をそのまま保管し、<3>同年九月二七日ころ、前同様日本デベロに対し一〇〇〇万円を貸し付け、その担保として、記号は「甲」と記入されているが、番号は一連の続き番号ではなく飛び飛びの番号(いわゆる乱番)で記入され、また、架空の名宛人等が記載された直ちに裏書譲渡の形式によって売却ができる会員券五〇枚を、前記<2>の一〇〇〇枚のうちの甲二五〇〇から甲二五四九までの五〇枚に代わるものとして受け取ったが、(有)千代田は右五〇枚を川越開発に返還せず、更に、同年一〇月一三日ころに右一〇〇〇万円の貸付金の返済を受けた後も右乱番の担保会員券を返還しないで保管し、<4>右三口の貸付金が返済となった後の同年一〇月二五日ころ、前同様日本デベロに対し二〇〇〇万円を貸し付け、その担保として、岡野の了承のもと、手許に保管中の前記<2>の会員券一〇〇〇枚を充てたが、同年一一月一二日ころに右貸付金の返済を受けた後もそのまま保管し、<5>同年一一月一二日ころ、前同様日本デベロに対し、返済期限を同月二六日として(甲154添付資料<19>)三〇〇〇万円を貸し付け、その担保として、前記<2>の会員券一〇〇〇枚を充て、更に、うち甲二六〇〇から甲二七四九までの一五〇枚に代わるものとして、記号が「甲」と記入された乱番の会員券一五〇枚を新たに受け取ったが、(有)千代田は、前者の一五〇枚を川越開発に返還せずにそのまま保管し、<6>同年一一月一八日ころ、前同様日本に対し、返済期限を同年一二月一日として二〇〇〇万円を貸し付け、その担保として、前記<2>の会員券一〇〇〇枚を充てたが、うち甲二五〇〇から二五四九までの五〇枚に代わるものとして、手許に保管していた前記<3>の乱番の会員券五〇枚を充て、更に、うち甲二五五〇から二五九九までの五〇枚に代わるものとして、新たに、記号が「甲」と記入された乱番の会員券五〇枚を受け取ったが、(有)千代田は、右<2>の一〇〇〇枚の会員券のうちの一〇〇枚を川越開発に返還しないでそのまま保管した。

(c) こうして、川越開発が第一回目の不渡りを出した昭和五二年一一月二五日当時、(有)千代田は、元金五〇〇〇万円の貸付金の正規の担保会員券として、記番号等の記入のない七五〇枚の会員券と二五〇枚の乱番の会員券との合計一〇〇〇枚の会員券を保有していたほか、七一〇枚の会員券を川越開発に返還することなく手許に残し、したがって、以上合計一七一〇枚の会員券を保有していた。

以上の事実が認められる。

これに対して、被告人吉村の弁護人は、右時点で(有)千代田の保有する会員券の枚数は一七六〇枚であると主張している。しかし、取締役会議事録(認証ある写)二通(符31及び32)及び岡野今雄の56・9・30(検)(甲154)に添付の資料<20>ないし<22>等に徴すると、乱番の会員券は、結局、甲二五〇〇から甲二七四九までの二五〇枚に代わるものとして差し入れられたものと認めるのが相当であるから、保有していた会員券の枚数は前認定のとおり一七一〇枚と認めるのが相当である。

(イ) 昭和五二年一一月三〇日の貸付けと担保

(有)千代田は、昭和五二年一一月三〇日前同様日本デベロに対し返済期限を翌一二月九日と定めて三〇〇〇万円を貸し付けたことが認められる。

検察官は、(有)千代田は右貸付けの際に川越開発から担保会員券を徴求してはいない旨主張する。しかしながら、川越開発の第一回目の不渡り発生後である昭和五二年一一月三〇日の貸付けに際し、それまでの貸付けにあたっては前示のように会員券を担保にとっていた(有)千代田が、右の貸付けにあたってはなんら会員券を担保にとらなかったとは奇異の感を免れない。たとえ、被告人志賀がその貸付けにつき日本デベロのために連帯保証をしているとしても、これが担保不要の理由になるとは思われない。検察官は、また、この貸付けについては、内容虚偽であるにせよ従来貸付けの都度作成されていた取締役会議事録の作成がないことを指摘、強調する。確かに、被告人吉村は、貸付けや担保設定などに関し自己の利益のために必要な事項については厳格なまで書面を作成していることが認められ、検察官の指摘もあながち排斥し難いのであるが、関係証拠によれば、当日、岡野は第二回目の不渡りの発生を防止すべく奔走しており、被告人吉村も、岡野の重なる懇願と被告人志賀の口添えとによりようやく三〇〇〇万円を貸与するに至ったもので、右貸付けが緊急事態のもとに行われたものであることが認められ、貸付けがありながら、取締役会の議事録を作成したという事実を認めさせるだけの証拠もないことなどを考慮すると、右一一月三〇日の貸付けが無担保であったと認定するについては、なお疑いが残るものといわざるを得ない。そうすると、その際、被告人吉村は、岡野の了承のもとに、その担保として、手許に保管していた前記(ア)(b)<1>の会員券四六〇枚と、同<2>の会員券一〇〇〇枚中正規の担保に充てられていない二五〇枚との合計七一〇枚を充てることとした旨認定する余地もないとはいえない。

したがって、昭和五二年一一月三〇日当時(有)千代田の保有していた担保会員券は、合計一七一〇枚とする公算が大である。

(ウ) アイチからの譲受けによる増加

被告人吉村は、昭和五三年一月一四日ころ、アイチが寿産業の名義で日本デベロに貸し付けていた返済期の既に到来した元金残額四〇〇〇万円の貸付債権の元本部分を譲り受け、同社が保有していた担保会員券八五〇枚を譲り受けることとなり、同年二月下旬ころ右八五〇枚の担保会員券を受け取った。しかしその後、同年二月二〇日の契約により、同年三月三〇日ころ、被告人吉村は、右債権譲受代金四〇〇〇万円中の一〇〇〇万円につき、(有)千代田が保有する担保会員券一〇〇枚で代物弁済した。以上の事実が認められる。

検察官は、右の点につき、アイチの日本デベロに対する貸付債権は、被告人吉村によって肩代わりされたものではなく、川越開発自身が(有)初雁からの借入金によって弁済したものであるから、アイチの保有していた担保会員券は、仮にそれが八五〇枚であったとしても全て川越開発に帰属すべきものである旨主張し、その根拠として、(有)フェニックスひいては(有)初雁の昭和五二年一二月から昭和五四年三月までの元帳(符66)中の勘定科目「川越開発」の欄に、昭和五三年一一月三〇日に(有)初雁が川越開発に対しアイチへの返済資金として四〇〇〇万円を貸し付けた旨の記載があり、また、川越開発の昭和五三年一二月期の元帳(符68)中の勘定科目「初雁勘定」の欄には、昭和五三年一二月三一日に(有)初雁が右貸付金と自己の川越開発に対する賃料支払債務とを相殺した旨の記載があることを指摘する。しかしながら、右(有)初雁の元帳(符68)中の「川越開発」勘定には右に対応する相殺の記載はなく、この元帳は、昭和五四年三月期の決算にあたり、同年五月ころ、被告人志賀が(有)フェニックス事務員宮本美知子に指示して作成させたものであることが認められ、被告人吉村がこれに関与した形跡はない。もとより、後日とはいえ、こうした記載が生じたのは被告人両名の当時の認識、意図を反映したものとみれないではないが、契約書(写)一通(符58)、預り証(写)一通(符50)、約束手形の発行控三通及び名刺(写)一通(符51)によれば、現に被告人吉村個人がアイチに対して現金及び約束手形で譲受代金四〇〇〇万円を支払っていることが認められるから、これらに徴すると、被告人吉村個人がアイチから債権を譲り受けたものとすることを覆すことは困難であり、前記各元帳の記載は真実を反映したものとはいえないというべきであって、検察官の右主張は採用することができない。

(エ) 結局、昭和五三年一月二一日当時の被告人吉村の処分可能な担保会員券の枚数は、右一〇〇枚を含め二五六〇枚とすべきであるが、翌二月二〇日以降においては二四六〇枚であったと認めるのほかはない。

(2) 担保会員券の清算価格等について

検察官は、主張の根拠の一つとして、川越開発の判示第三回の債権者集会において、担保会員券は一枚二七万円で評価して清算するとの決議がなされた旨主張するもののようである。もし、これが真実であるとすれば、被告人両名による売却会員券の枚数から計算して、被告人吉村は債権額をはるかに上回る金員を受領していたことになり、その弁解の支柱が一部なりとも大きく崩れることになりかねない。そして、正式のものとする確証はないものの、右集会の議事録写し(岡野今雄の56・10・16(検)(甲157)添付資料<7>等)には、「会員券の販売について(種々議論)、価格については一枚27万仕切と承認決定(債権額に充当、オーバー分は返却する)」旨の記載があり、岡野や関口の証言ばかりでなく、被告人志賀の57・5・2(検)(乙27)でも、右の一枚二七万円の基準は担保会員券のみならず債権回収のため売却されるすべての会員券に共通したものとして、被告人両名の提案により討議されたことが認められるが提案者である被告人両名がこれに準拠するは格別としても、これが法的に川越開発と全債権者を直ちに拘束する性質の決議として成立したとみるのは、これに沿う岡野、関口の証言等も根拠が十分とはいえず、なお疑いを残すものといわざるを得ない。なお、川越開発作成の譲渡承諾書二通(符44及び46)には、いずれも、「万一債務不履行の場合に上記証書を貴社の任意に選任する第三者に譲渡転売されても一切異議なく、転売価格等についても貴社に一任し、その場合名義変更料、登録料等一切の費用を要求せず、借入金及び金利に充当し債務額に不足が生じた時は、その不足分を別途支払いいたします。」と記載されており、約束手形写し三通に付記された文言(甲 添付資料<20>ないし<22>)等と併せ考えると、本件においては、担保権者たる(有)千代田は、川越開発から期限までに貸金の返済を受けない場合には、これを当然に代物弁済として取得するものではなく、担保会員券を換価(売却)することができ、ただ、換価額が債権額(利息、損害金を含む。)と不一致の場合には、何らかの清算手続が残されているものと解するのが相当である。このことは、譲渡担保契約書(甲155添付資料<5>)等の記載に徴し、アイチのダミーである寿産業が保有していた担保会員券についても同様であったと認められる。

(3) 以上のほか、検察官の論旨のなかには、一層の吟味を要するものがないではない。被告人吉村の捜査段階における自白については後に譲るとしても、検察官の論旨をみると、倒産状態に陥った川越開発から更に利息や遅延損害金を徴収するのは不当であり、仮に徴収できるとしても利息制限法の規制内にとどまるべきであるし、そもそも債権者集会の委員長、副委員長ひいては川越開発の実権を握る者が自己の債権の回収を図ること自体許されないとの発想が主張の前提にあるかのように窮われる。しかし、事柄を民事法上の観点からみれば、債務者が倒産状態に陥ったとしても、当然に利息ないし遅延損害金につき権利行使が許されないいわれはなく、例えば、利息制限法違反のものでも効力は別として、その例外ではない。また、債権者が債務者会社を支配し、優先して自己の債権を回収することは、債権者平等の見地から批判、是正を受ける余地を残しているとしても、利害打算を至上のものとする商人間にあっては、あながちこれを不当視することは当を得たものといえない。当時の被告人両名の心情は別として、一般論としては右の発想はにわかに賛成することができない。更に、後述する問題点についても、慎重な検討が必要であるところ、本件においては以下に指摘する事情が認められる。

(三) 会員券売却の経過

そこで、関係証拠、特に証券登録台帳(符61)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告人吉村は、川越開発から(有)初雁が委任された会員券登録業務及び希望する債権者に対して一枚二七万円で会員券を発行、交付する業務を、昭和五二年一二月一九日ころから川越市のクラブハウスでコース支配人島掛を責任者として開始し、更に、昭和五三年一月一〇日ころからは川越市のデベロビル二階に開設した(有)初雁の事務所で島掛らにこの事務を遂行させていたが、この間の昭和五二年一二月二六日ころ、被告人吉村は、被告人志賀を通じて、島掛に、従来川越開発が会員券の印刷を発注していた大宮市の(有)文昇堂に金額一五万円の会員券用紙二〇〇〇枚と金額五万円の平日会員券用紙三〇〇〇枚の印刷を発注させ、同月二九日、これを納入させた。右金額一五万円の会員券用紙は、従来のものと若干体裁が異なっており、用紙の色は緑色(従来のものは茶色)で、発行者として「川越開発興業株式会社 代表取締役栗城至誠」と記載されていた(従来のものは、「川越開発興業株式会社 代表取締役栗城至誠 川越初雁カントリークラブ」と記載されていた。)。そして、経緯は別として、この新規印刷にかかる会員券中五〇枚(記番号、A五〇〇から五四九まで)のうちの四〇枚は被告人志賀を介するなどして島掛に預けられ、同人はこれを使用して、担保会員券(旧券)の登録の際に差し替えたり、また、希望する債権者に対して一枚二七万円で債権と相裁のうえ発行するなどした。

(2) 他方、被告人吉村は、昭和五二年一二月二八日ころから昭和五三年一月九日ころまでの間、(有)千代田の保有する乱番の担保会員券(旧券)二九枚位(記号はいずれも甲で、番号は、八九八、八八〇、八七三、八六六、八五九、一六六、一七三、一八〇、一九八、二〇九、二二三、二三〇、二一六、一二七、一四一、一〇二、一三四、一五九、二九四、二八七、二六二、二五五、二四八、三五一、三六九、三七六、三三七、三四四、三一二)を一枚一九万円でローデムに売却し、また、昭和五二年一二月二八日ころから知人の石丸に(有)千代田の保有する担保会員券(旧券)の売却を行わせ、同人は、昭和五三年一月一七日ころまでの間、五枚位(記号はいずれも甲で、番号は、八四一、三〇五、三八三、四三三、四四〇)を売却した。

(3) 被告人吉村は、昭和五二年一二月末ころから、ローデムに対して会員券の一括買取りを求めていたが、昭和五三年一月二一日ころ、ローデムに対して二〇〇〇枚の会員券を代金三億円で売却する旨の口頭契約を結び、同日ころ、別紙(一)記載の約束手形二〇通を受け取り、その後同年六月ころまでの間に数回にわたり、ローデムに対し、前記(1)の新規印刷にかかる会員券二〇〇〇枚中の一九五〇枚(記番号、A五五〇からA九九九、BないしDの各五〇〇から九九九)と、別に印刷を発注して同年一月二七日に納入させた会員券一〇〇枚中の五〇枚(記番号、E五〇〇から五四九まで)とを、判示のとおり、裏書譲渡のような形式に整えて交付した。被告人吉村は、右約束手形二〇通のうち金額一〇〇〇万円のもの一〇通を被告人志賀に内緒で一人で取得し、その後同年二月下旬ころ、残り金額二〇〇〇万円のもの一〇通について被告人志賀と分配の協議をしたが、結局、後記第五の二記載のとおり、うち二通をまず被告人吉村が取得し、残る八通を現金化するなどして折半することとした。

(4) 被告人吉村は、昭和五三年一月二一日ころ以降も同年三月一一日ころまでの間、石丸に(有)千代田の保有する担保会員券(旧券)一三枚位(記号はいずれも甲で、番号は四六五、五四七、五〇八、五一五、五二二、四七二、四九七、五七九、五八六、五九三、九九三、六四三、六六八)を売却させ、また、島掛をして、会員券(担保会員券ではない。)の交付を希望する債権者に一枚二七万円で相殺、発行させるなどしていた。

(5) この間の同年二月二七日ころ、被告人吉村は、島掛をして会員券の印刷を前記文昇堂に発注させ、金額一五万円の緑色の会員券用紙二〇〇〇枚を納入させた。この会員券用紙には、その後、記番号として、E五五〇から一〇四九まで、FないしHの各五〇一から一〇〇〇までが記入された。

(6) 被告人吉村は、デベロビルで会員券登録業務等を行っていた(有)初雁の前記事務所を同年三月一〇日ころ千代田区麹町五丁目七番地所在のTBRビル九一六号室に移し、(有)初雁の事務員落合敦子を責任者として右業務を遂行させることとしたが、これを機に、同女に新規印刷にかかる会員券やかつて岡野の経営のときに印刷されたが体裁が悪いとして使用されなかった桃色の会員券を保管、管理させ、石丸らが販売契約を結んで来た顧客に対し、石丸らに一枚一〇万円の仕切り代金を納入させるのと引換えに、右の新券の登録、交付をさせることとし、その後、石丸のほか、コースで島掛に、あるいは会員券販売業者のエリートゴルフ等に会員券の売却を行わせて、その売却代金中から一枚につき一〇万円を落合に納入させていたが、次第にこれが増えて来たため、これを一旦預金することとし、同年五月一二日、実兄の吉村勝彦を介し、落合をして、判示のとおり、太陽神戸銀行麹町支店に酒井口座を開設させ、以後、落合の受領する会員券売却代金は全てこの酒井口座に入金させることとした。

(7) 被告人吉村は、その後も石丸らに会員券を売却させていたが(なお、右(6)以後の石丸扱いの正会員券は、全て、記号がイ、あ、F等の新券である。)、ローデムが前記(3)記載の会員券二〇〇〇枚を売り尽くした同年六月一二日ころからは、ローデムにも新券の売却を行わせ、落合をして、ローデムから受領する一枚一〇万円の仕切り代金を酒井口座に入金させていた(なお、その後昭和五四年三月三〇日ころまでの間にローデムに交付された新券は二六六枚であり、記号は、あ、Fであった。)。

(8) 昭和五四年三月末ころまでの間に酒井口座に入金された会員券売却代金について、被告人吉村は、昭和五三年七月五日から昭和五四年四月二日までの間、前後七回にわたり、その利息等を含め酒井口座から合計四六三二万三七五〇円を引き出して、その都度被告人志賀と折半した。

(9) 他方ローデムは、その資金繰り上顧客から受領した売却代金を他に流用し、落合のもとに届けることができないことが多かったため、次第に未登録のいわゆる溜り客が増え、苦情も出始めたことから、昭和五三年一二月六日ころ、判示のとおり、別紙(三)記載の約束手形三通を被告人吉村に交付して三〇〇口の登録を認めてもらい、その後落合から新券三〇〇枚(記番号、あ七二四から九〇〇までのうちの一六二枚、F五〇一から六五三までのうちの一三八枚)の交付を受けた。

(10) 被告人吉村は、昭和五四年二月及び三月に右三通の約束手形を(株)千代田で割り引いて現金化し、これを被告人志賀と折半した。

以上の事実が認められ、右事実については、主として直接これに関与した被告人吉村も当公判廷において概ねこれを認めるところである。

(四) 売却された会員券の性質について

以上認定の事実関係をふまえ、ローデムに売却、交付された前記(三)(3)の二〇〇〇枚の会員券及び落合が一枚一〇万円の受領と引換えに交付していた会員券が、被告人吉村の弁護人主張のように担保会員券といえるか否か、また、同(9)の三〇〇枚の会員券が、同弁護人主張のように被告人志賀の日本デベロに対する貸付債権の元金又は利息の支払いとして一枚二七万円で発行されたものであるか否か、更には、被告人志賀の弁護人主張のような事情に基づき分配が行われたものであるか否かなどについて検討する。ところで、検討の前提とすべきことは、既に認定したことからも明らかなように、本件において問題となる会員券は、現実にローデムに手渡されあるいは落合が交付していた会員券を含め、ともに、(有)千代田ないし被告人吉村の保有していた担保会員券そのものではなく、いわゆる新券であるということである。弁護人も、この事実を認めながら、なお、それは右担保会員券が被告人吉村によって観念的に差し替えられたものである旨主張している。

しかしながら、関係証拠によれば、次の事実が認められ、あるいは事情が指摘できる。すなわち、

(1) およそ、担保となった会員券の券面自体を新規印刷のものと差し替えることは関係者の同意がある限り可能であり、差替えの一事によって担保としての効力が消滅するものとは思われない。しかし、差替えを有効とするためには、新旧両券の対応関係を個別的、具体的に明確にしておくことが必要であり、これを不明確にしたまま、とりわけ旧券を残した状態で新券を売却したような場合には、有効な差替えひいては担保となった会員券の売却があったとはいえず当事者の意思も同様であったと推認するのが通常である。本件において、被告人吉村は、アイチからの譲受分も含めて、自己の手許にある担保会員券(旧券)と交付された新券との対応関係を明確にしてはおらず、その弁解によっても、新券を売り出した後も後記のようにシュレッダーにかけるまで依然として担保会員券(旧券)を自己の手許に保管していたのである。

被告人吉村の弁護人は、この点につき、いちいち担保会員券(旧券)と新券との対応関係を明確にする必要はなく、枠としての枚数だけを把握していればよいのである旨主張するが、本件証拠を検討しても、被告人吉村の法廷供述以外に、被告人吉村が新券の売却につき担保会員券(旧券)の枚数を超えないように注意していたとの事実にそう証拠はない。そして、右被告人吉村の法廷供述自体も、酒井口座の通帳や落合につけさせていたノートによって日々の売却枚数をチェックしていたというにとどまり、落合やローデム等に対して、売却可能な残枚数を告げ、あるいは売却を一時中止させるなどしたというものでもない。もし、被告人吉村が売却枚数について十分に把握、管理しておれば、同被告人がいうところのローデムの三〇〇枚もの売り過ぎも生じなかったといって過言ではない。

(2) 特に、被告人吉村の弁護人は、被告人吉村がローデムに二〇〇〇枚の新券を交付した点につき、当時川越開発が新券の発行に切り替えていたため、旧券のままの担保会員券を使用せず、これと観念的に差し替えられた新券を交付したものである旨主張し、特に被告人吉村は、差替えの必要性を強調するのであるが、被告人吉村は、右二〇〇〇枚の売却契約後も、枚数は少ないものの前記(三)(4)記載のとおり、石丸に旧券のままの担保会員券を売却、交付させており、また、証券登録台帳(符61)によれば、確かに、伸共ゴルフ(株)等の所持する旧券たる担保会員券について登録の際に新券に差し替えられたものがあることは認められるものの、それは、右証券登録台帳からみる限りわずか数枚にとどまっており、大部分の担保会員券(旧券)は、新券に差し替えられることなく、そのまま登録されている。この事実からみても、被告人吉村において、旧券たる担保会員券を処分するのであれば、あえて新券に差し替えなければならない必要があったかは甚だ疑わしい。

(3) 被告人吉村は、前記(三)(3)、(8)及び(10)記載のとおり、会員券の売却代金を被告人志賀と分配しているが、結果的には等分、折半にはなっていないものの、被告人吉村の法廷供述によれば、被告人志賀の取得すべき額は半分であり、その趣旨はコースの運営に対する謝礼等であるというのである。しかし、もしこの弁解が真実であるとすれば、コースの運営に対する謝礼等としては多額に過ぎるといえる。被告人志賀はコースの運営に携わることにより相当額の給与や報酬と、一時的ではあるが月額三〇〇万円の限度で自由に使用できる経費を認められていたのであって、そのうえ単に謝礼等の意味だけで担保会員券売却代金の半分を分け与えるとは到底考えられないところである。現に、被告人志賀も、当公判廷において、謝礼としてもらったのではない旨供述している。このように、売却代金を分配した被告人両名の弁解が異なっていることも看過し得ないところである。

なお、被告人志賀の弁護人は、被告人両名の間に担保共用の約束があった旨主張していて、被告人志賀の公判供述にはこれに沿う部分が見受けられるが、それによっても果たして明確な約束があったかは疑わしく、被告人吉村は捜査段階以来これを肯定していないところであり、被告人志賀も捜査段階で肯定した供述をしていないところである。これに徴しても、本件が担保共用の約束に基づく分配であるとは到底認められない。

(4) 前記(三)(3)のローデムに対する二〇〇〇枚の会員券の売買契約について、川越開発とローデムとの間で契約書は作成されていないものの、ローデムの会員課員吉川英喜が作成したとみられる記番号A五五〇から五五九までの昭和五三年一月一九日付の受領書なるもの(符59のファイルノート中にあるもの)にも、その名宛人が「株式会社川越開発興業」「有限会社初雁カントリークラブ」と併記されており、被告人吉村の個人名は記載されていない。

(5) 更に、被告人両名は、昭和五三年二月下旬ころ、右二〇〇〇枚の会員券ないしその売却代金について分配の協議をしたが、その際、被告人志賀から売却した会員券の性格について尋ねられた被告人吉村は、「担保会員券を売ったことにしよう。」と答えている(被告人志賀の第三九回公判供述等)。もっとも、被告人吉村は、当公判廷において、「担保の会員券を処分したんだから、いいんじゃないんですか。」と答えた旨供述しているが(第五二回公判)、いずれにしても、被告人両名が、当時、会員券売却代金の行方について追及を受けるかもしれないことを予想したことは否定できないところであり、現に、その後、本郷英夫(男)らから仮処分が申し立てられ、右のような追及がなされている。

のみならず、右(1)、(2)及び後記(6)の事情に鑑みると、右は、真実担保会員券の売却に振り替えようとの意思で述べられたものではなく、川越開発の債権者から売却代金の行方について追及を受けた場合に担保会員券を売却したことにしようとの趣旨で述べられたものと認められる。

(6) 仮に担保会員券の売却であるとすれば、遅くとも昭和五三年一二月三一日の時点においては、(有)千代田の日本デベロないし川越開発に対する貸付債権の残額は零となるべきところ、(有)千代田の貸付金元帳(符73)には依然として債権額八〇〇〇万円の記載がある。もっとも、右元帳には、(株)千代田への切替え後の同年一二月二七日付で右八〇〇〇万円の返済があった旨の鉛筆書きの記帳があるが、右は、その記帳の体裁や(株)千代田でなく(有)千代田の元帳に記載されていること等からみて、到底通常の業務の過程において記載されたものとは認め難く(柴崎和子の57・5・6(検)(甲191))、事後的に記載された疑いが濃厚である。むお、(有)千代田の右元帳は(株)千代田へ業務が引き継がれたことに伴い、昭和五三年三月三一日をもって締め切られているのであるが、右元帳のその余の記載部分と対比してみると、右八〇〇〇万円の貸付金は(株)千代田へ引き継ぐ形式で記帳処理されていることが認められる。そうであるとすれば、(株)千代田の貸付元帳にも右貸付金の記載があって然るべきであるが、右鉛筆書きに照応した作為が同元帳に加えられている公算も否定できない(もっとも、同元帳は証拠として提出されていない。)。(有)千代田ないし(株)千代田の従業員である柴崎和子の57・5・6(検)(甲191)の供述記載中、川越開発に対する貸付金は(株)千代田に引き継がれていない旨の部分も、右作為後の元帳((株)千代田のもの)を前提にしてなされたものと思われないではない。

また、関口によって作成された日本デベロの昭和五四年二月期の法人税確定申告書に添付の決算報告書(甲203)には、日本デベロが依然として(有)千代田に八〇〇〇万円の借入金債務がある旨記載されているが、被告人吉村は、日本デベロの連帯債務者ないし連帯保証人たる川越開発の実質経営者として、あるいは貸主(有)千代田ないし(株)千代田の実質経営者として、主債務者たる日本デベロの代表取締役関口に対して、担保会員券の売却によって債権を全額回収した旨を連絡すべきであり、また、連絡しようと思えば容易にできたのにこれをしていない。

本件を通観すると、前示にもあるように、被告人吉村は、その権益の確保に必要とみられる取引事項については、慎重なほど証憑を作成して後日に備えていることが窺われるのであって、その面の欠落があることをもって、被告人吉村の手落ちと単純に推認することは相当でない。

(7) 更に、川越開発の昭和五三年一二月期の決算は、前記のとおり、被告人志賀の指示によって行われているが、その昭和五三年一二月期の元帳(符68)には被告人志賀に借入金を返済した旨の記載はなく、また、被告人志賀は、川越開発の実質経営者であったのに、主債務者ないし連帯債務者の関係にあった日本デベロに対し、川越開発が自己に対する債務の返済をした旨の通知をしていない(そのため、日本デベロの前記昭和五四年二月期の法人税確定申告書添付の決算報告書には、依然として、被告人志賀からの借入金一億三五〇〇万円が記載されている。)。

(8) 被告人志賀は、元金一億三五〇〇万円の貸付金の利息(遅延損害金)等として、関口から東松山カントリークラブの会員券や手形を受け取ったり、また、本件会員券売却代金の分配を受けたりしたというが、その充当関係について、本件公判中に「債権弁済充当一覧表」(第四一回公判速記録に添付のもの)を作成して提出するまでの間に、正確な計算をして未収の遅延損害金額や残元金額を算出してみたことはない。また、被告人志賀作成の右一覧表によっても昭和五四年七月九日現在の残元金は一億一七七一万円余しかなかったにもかかわらず(同被告人の複利の計算は採用し難い。)、被告人志賀は、元金がなお一億三五〇〇万円残っているなどとして、被告人吉村にその債権を売却している。

(9) 更に、被告人両名特に被告人志賀においても、昭和五三年二月三日に浦和地裁川越支部から川越開発に対し債務支払禁止の保全命令が出され、以後川越開発が同日以前の借入金について返済ができなくなったものであることは十分承知していた。

(10) 被告人志賀は、当公判廷において、判示第二の七の1の会員券売却代金は川越開発の防戦資金として使用される予定であった旨供述するが、同被告人も認めるとおり、右会員券売却代金たるローデム振出しの約束手形は、所詮、そのままでは防戦資金としては使えないものであり、手形が振り込まれた場合には、(有)千代田ないし被告人吉村のもとで割り引いて現金化しなければならないのであって、そうとすると、防戦資金としてローデム振出しの手形を準備したというのはいささか的外れの感を免れず、また、防戦資金を作るために会員券を売り、保全命令が出たためにこれを分配したという説明は、右保全命令の出た後の会員券の売却たる判示第二の七の2及び3については妥当しないと考えられる。そもそも、被告人吉村も、当公判廷において、本件会員券の売却は手形振込みに対する防戦資金を作るために行われたものではない旨供述している(第五六回公判)。

(11) 被告人吉村の弁護人は、前記のとおり、被告人吉村が昭和五三年一二月に落合をしてローデムに交付させた前記(三)(9)の会員券三〇〇枚は、被告人吉村が被告人志賀の了承を得て、同被告人の日本デベロに対する元金一億三五〇〇万円の貸付債権の元本又は利息の弁済に充てる趣旨で、一枚二七万円で発行し、売却したものである旨主張している。しかしながら、被告人志賀は、当公判廷においてこれを明確に否定しており、一枚二七万円で川越開発から会員券の発行を受けたことはなく、また、その意思もなかった旨供述しており、他方、右弁護人の主張に沿う被告人吉村の供述も、公判段階になって初めてなされるに至ったものである。更に、被告人吉村が述べる被告人志賀に全額帰属すべき会員券売却代金の半分を取得することとなった理由についてもにわかに首肯し難いこと等に徴すると、被告人吉村の右弁解はたやすく信用できない。

(12) 確かに、被告人吉村の弁護人主張のとおり、関係証拠によれば、浦和地裁川越支部に係属した本郷英夫(男)ほか一名を申立人とし、被告人志賀を被申立人とする仮処分申請事件において、昭和五四年二月に被告人志賀が被告人吉村と協議のうえ作成、提出したと認められる陳述書(乙29)には、売却した会員券が担保会員券であること及びこれによって(株)千代田の日本デベロに対する貸付債権が零となった旨が記載されていて、いわば、これによって、被告人吉村は、自己の反対派に対して、(株)千代田が全額返済を受けて債権額が零となった旨を言い切っていることが認められる。しかし、前記陳述書の右各記載から直ちに本件売却にかかる会員券が担保会員券と差し替えられた会員券であると認定してよいか相当に疑問である。けだし、右陳述書は、日常の業務執行の過程で自由な零囲気のもとに書かれた伝票、メモ類等とは異なり、本郷英夫(男)ほか一名からの、被告人志賀が川越開発の会員券を売却してその代金を不当に得ているとの攻撃に対抗して、防御的立場から記載されたものとみられるのであって、多少の誇張があることは、被告人志賀自身も当公判廷において認めるところであるうえ、まさに、事が発覚、露見したために担保会員券の売却処分であると弁疎しているものと考えられないわけではないからである。

(13) 柴崎和子の57・5・6(検)(甲191)によれば、同女は、被告人吉村から指示されて、(株)千代田が川越開発から貸付金八〇〇〇万円の返済を受け、これを被告人吉村に返済したが、うち三〇〇〇万円を被告人吉村から仮受金として受け取った旨の昭和五四年一月八日付の入出金伝票各一通を作成したというのである。しかし、この点については、この二枚の伝票が鉛筆書きであることからみても、右陳述書の記載に符合させるべく被告人吉村が柴崎に作為ある入出金伝票の作成ないし記載を命じたものであるとも考えられないわけではなく、前示甲191添付の金銭出納帳一月八日摘要欄借入金の右側にある「吉村金次郎」の記載も、その体裁からみて別の機会に記入された公算が大で、不自然の感を免れない。

また、被告人志賀の弁護人は、川越開発の昭和五三年一二月期の元帳(符68)の勘定科目(貸付金」欄に、昭和五三年一二月三一日の時点で日本デベロに対する四億九二七五万円の貸付けが記載されていることを指摘し、これによれば、日本デベロから被告人志賀に対して債務の支払いがなされたことが認められる旨主張する。確かに、右元帳には弁護人指摘の記載があるばかりか、その摘要欄に括弧書きではあるが「担保証券」の記載のあることが見受けられる。しかし、その記載の元になるとみられる(有)初雁のコース事務員宮本美知子の56・10・23(検)(甲188)添付の振替伝票写しには「担保証券」の記載がないばかりか、同供述調書によれば、宮本は、川越開発の昭和五三年一二月期の決算をしていた昭和五四年三月ころ、被告人志賀から、昭和五三年一二月期に売却された担保会員券の総枚数が三二八五枚である旨指示されて、預託金としてその一五倍に相当する四億九二七五万円をたて、日本デベロに対する貸付金として同額をたてる振替伝票の作成を指示され、これに沿った処理をしたというのである。これも、前同様、前記陳述書で(株)千代田の債権額が零となった旨言い切ったため、やむを得ず、以後担保会員券を売却したものとして昭和五四年の三月に経理処理をしたものと考えられる。

(14) 昭和五四年五月ころには、共同ビルの(株)千代田の事務所において、多量の担保会員券がシュレッダーにかけられて廃棄処分された公算が大であり、そのなかに(有)千代田ないし被告人吉村の保有していたものが含まれていなかったとする確証もない。しかし、昭和五四年三月五日にコース名が変更されて「リバーサイド フェニックス」となったため、もはや従来の会員券は使用することができなくなり、しかも前記のとおり、仮処分事件の陳述書で担保会員券を処分したものであると言い切っている以上、担保会員券を残しておくことはかえって不自然であり、証拠物としても残しておく必要性が乏しくなったため、廃棄処分にしたものとも考えることができる。

(15) 担保会員券を持っていれば、わざわざ川越開発の新規発行にかかる会員券を売却したりはせず、担保会員券から先に売却して行くはずであり、今日まで被告人吉村が債権を回収しておらず、依然として貸付債権が残っているというのは不可思議であるという被告人吉村の弁護人の主張にも一理はありとみれないではない。しかし、一般論としてはそのようにいえても、本件では、被告人吉村は川越開発の実質経営者でもあって、(有)千代田ないしは自己の担保会員券を先に処分しなくても、川越開発に対する債権さえ残しておけばいつでも川越開発から弁済を受けられる関係にあるのであって、これが担保会員券を先に売却処分しなかった被告人吉村の心理的な理由であると考えられないわけではない。そもそも、ゴルフ場の会員券の如き担保については、不動産担保等と異なり、その預託金を含む売却代金を債務者に交付することなく、債権者においてこれを受領し、そのまま債権回収に充当し得るところに主たる特色があって、債権者がゴルフ場会員券の発行権限を有する債務者の立場を兼ね備えるに至ったような場合には、それがなくても事実上同様のことをすることができるのであり、その意味において担保としての価値は減弱しているとみて差し支えない。本件においても、被告人両名は、川越開発の実権を掌握するに至った後は、担保会員券をそれほど重視していなかったものとみられ、このことは前示にもみられる会員券販売状況に照らしても容易に推測し得るところであり、いわゆる新券と旧券の厳密な対応関係など念頭になかったとすらみられないではない。それよりも、被告人両名としては、川越開発のための出捐を実質上なるべく早く回収しながら、なお、多額の債権を残存させることにより、債権者団の中にあって、債権者としてなお有利な立場を留保しようとの挙に出ることも十分に考えられるところであるといえる。

(16) また、仮に売却された会員券が川越開発の新規発行にかかる会員券であるとすれば、川越開発は、一方で、会員券による支払いを希望する債権者に対しては一枚二七万円で交付しておきながら、他方では、同じ会員券を一枚一五万円又は一〇万円の安価で仕切っていることになり、相反する売却をしているという結果となり、被告人吉村の処分したものはやはり担保券ではないかとの疑問が生ずる。しかし、当時の会員券の実勢価格は二七万円に達していなかったのであり、ただ被告人両名としては川越開発の債務を少しでも軽減させるため、債務の弁済に代えて会員券の交付を求める債権者に対し、一枚二七万円で相殺という川越開発に有利な条件を押し付けたものとみられる。もともと債権者集会においては、川越開発自身が会員券を新規に発行して売却し、弁済の原資とする場合の値段について制限がつけられておらず、また、実質的に倒産した川越開発の債権者が債務の弁済に代えて交付を受ける会員券の値段と、会員券販売業者が川越開発から仕入れる値段とが異なっていても、それはさして不合理とは考えられない。けだし、前者においては、債権者が債権回収のため相場価格まで売値を下げて安く売らざる得ないが、これは、実質的に倒産した川越開発の債権者としては当然甘受すべきことであるとも考えられるからである。それだけではなく、被告人吉村は当時ローデムに対しても高利で多額の貸付けをしており、その利息収入や元本回収を確保することには重大な利害があったと認められる。したがって、会員券の仕切り値を低く押さえてローデムに売却することは一見被告人吉村に不利のようであるが、その分だけローデムに利益をもたらし、右同社に対する被告人吉村の利益の確保につながるとの見方も十分に成り立つ。

(17) 何故に会員券の売却がほぼ昭和五四年三月一杯で終わっているのか、もし川越開発の新規発行の会員券の売却であるというならもっと続いてもよいのではないか、との点も吟味に値する。この点については、被告人吉村に処分可能な担保会員券がなくなったため会員券の売却が終わったとも考えられないではないが、しかし、他方、前記のとおり、コース名の変更によって従前の会員券の売却はできなくなり、だからこそ川越開発発行名義の全ての会員券の発行、売却が停止されたとも考えられるのである。しかも、そのころになると、右のコース名変更に前後して追徴金を課して会員数を整理するという新たな展開がみられるに至ったのであって、川越開発の会員券売却はその必要性もなくなったものとみられる。

(18) そのほか、被告人志賀は、別紙(一)記載のローデム振出しの約束手形が決済され出した後の昭和五三年五月ころ、それまで、自己の日本デベロに対する残元金一億三五〇〇万円の貸付債権の利息中一か月三〇〇万円を代払いさせていた関口に対し、以後利息を支払わなくてもよい旨告げてその後は同人から利息を受け取っておらず、かえって、被告人吉村に対して右貸付債権等を代金四億円で売り渡した後の昭和五四年一一月ころ、関口から右貸付債権の裏保証として受け取っていた判示の昭立プラスチック工業(株)振出しの約束手形四通(金額合計一億三五〇〇万円)を同人に返還していること等の事実が認められ、その他被告人両名の弁護人は縷々事情を指摘するが、こうした事情も当時の経緯に照らし多義的に解される余地があって、いずれも前示認定を覆すには足りないというべきである。

(五) まとめ

以上の事実が認められ、あるいは事情が指摘できる。これらの諸点を総合考慮すると、被告人吉村には、担保会員券が多量にあることがその心理の一端にあり、それが本件動機において酌量すべき事情になるかは別論として、(有)千代田ないし自己の保有する担保会員券を新券と差し替えて売却するものであるとの意思まではなく、担保会員券として別に処分することはあっても、これとは別に、川越開発の実質経営者として、新規に会員券を発行し、売却しようとする意思であったものと推認するのが相当である。被告人志賀についても、その認識は右と同様であって、同被告人は、債権の実質上の回収を図りたいという気持が動機にあったことは否定できないとしても、本件約束手形金の分配及び酒井口座からの払戻金の分配を債権回収と具体的に関連させ、債権の回収として行うものであるとの認識はなく、やはり、債権はそのままに残して、本件会員券売却代金を被告人吉村と分配する意思であったと認定するのが相当である。

そして、右分配は被告人両名による横領の共謀に基づくものであるとみるのほかなく、その共謀は、遅くともハワイにおいてなされたものと推認するのが相当である。また、被告人志賀は、たとえ被告人吉村から嘘を言われて、判示第二の七の1の会員券売却代金が二億円であると誤信していたとしても、それ以前にハワイにおいて、川越開発の新規発行にかかる会員券の売却代金を横領して折半しようとの共謀を行っている以上、三億円全額について横領の責任を負うべきものである。被告人志賀の弁護人の右主張は採用することができない。

二 実質経営者について

なお、被告人吉村の弁護人は、被告人吉村は川越開発の実質経営者ではなかった旨主張するが、判示のとおり、被告人吉村は、川越開発のコースの経営を委ねられた債権者委員会の副委員長の地位にあったものであり、委員長の被告人志賀においては、川越開発の代表者印、手形帳等を預かっており、また、被告人両名は、川越開発の取締役会をして、(有)初雁とのゴルフ場営業賃貸借契約を結ばせ、あるいは五〇〇〇万円の増資を決定させるなどし、更に、他方、被告人両名は、川越開発の発行済株式総数の三分の二を保有する(有)初雁のオーナー兼経営者としての地位にもあったものであって、これらの事実に徴すると、被告人吉村が川越開発の実質経営者であって、本件業務上横領罪の成立に必要な身分を有していたことは優に肯認することができるというべきである。弁護人の右主張は採用することができない。

三 検面調書の任意性等について

1 被告人吉村の検面調書について

(一) 被告人吉村の弁護人は、被告人吉村の検察官に対する供述調書中、乙18の全部、乙19の四項並びに乙20の一項及び一一項につき、「右各供述は、取調検察官の押付け、教え込みと利益誘導などによってなされたものであるから、刑訴法三二二条一項にいう任意性がない。すなわち、取調べにあった馬場検察官は、被告人吉村が認めて争わない資金の流れや会員券売却の事実を取り上げ、その外形事実のみで横領罪が成立するとの誤った判断を被告人吉村に与え、同被告人に自己が犯罪者であるとの観念を植えつけ、検察官の組み立てた事実を認めるように迫り、弁解することが無意味であり、かえって不利益である旨示唆して、義弟の山田や部下の請園の誤った供述に合わせた供述をするよう押し付けたものであり、更に、このような供述がなされれば、勾留中の山田や請園が直ちに釈放される旨の利益誘導も行ったものである。既に自己の行為が横領罪を構成するとの誤った考えに陥っていた被告人吉村は、諦めの観念と自己の行為によって山田らまでもが勾留されているとの自責の念から、真実とは相違することを知りながら、検察官の組み立てた事実に沿う供述をし、こうして昭和五六年九月二三日付の供述調書が作成されたのである。そして、本件乙18ないし20の各供述調書は、いずれも、右九月二三日付の供述調書を塗り直したものであり、被告人吉村は、山田らが釈放されたこともあって、検察官の意に沿う供述を続け、求められるままに署名したものである。被告人吉村は、やがて諦めの念を募らせ、遂に、検察官の取調べが終了した後に自殺を企てるに至ったものである。」旨主張する。

そこで判断するに、関係証拠等によれば、被告人吉村は、昭和五六年九月九日に判示第六の一ないし四の各法人税法違反罪で逮捕され、同月一一日勾留状の執行を受け、更に勾留期間の延長を受けたうえ、同月二四日右各罪により起訴されたが、同日、判示第三のパレスゴルフをめぐる業務上横領罪等により再度逮捕され、勾留状の執行及び勾留期間の延長を受けたうえ、同年一〇月一四日右業務上横領罪により起訴され、その後同年一一月二日、更に判示第四の所得税法違反罪及び同第六の五の法人税法違反罪により起訴されたこと、被告人吉村は、第一回目の逮捕後から馬場俊行検察官の取調べを受け、右逮捕当日の同年九月九日に身上等に関する調書(乙1)が作成され、その後同月二〇日までの間に法人税法違反に関する調書(乙2ないし6)が作成されたが、右第一回目の起訴までの間に、パレスゴルフ事件及び川越開発事件についても取調べを受け、パレスゴルフ事件については二通の調書が作成され、川越開発事件については同月二三日に最初の調書が作成されたこと、その後同年一〇月一四日までの間、パレスゴルフ事件に関する乙8ないし12の調書が作成され、他方、同年九月二九日に乙18の、同月三〇日に乙19の、同年一〇月一三日に乙20の川越開発事件に関する調書が作成されたこと、なお、同月一六日、いわゆる日米犯罪人引渡条約により被告人志賀の引渡しを米政府に請求するため、主として右乙18ないし20の三通の調書を一通にまとめた調書が作成されたが、これについては、予め調書の下書きがなされ、これを被告人吉村に読み聞かせて署名を求めたものであること、以上の事実が認められる。

ところで、弁護人は、前記のとおり、右九月二三日付の調書について、取調べにあたった馬場検察官から供述の押付けと利益誘導があった旨主張し、被告人吉村も、当公判廷において、これに沿う供述をしている。しかしながら、証人馬場俊行の証言によれば、同検察官は、被告人吉村に対し、昭和五六年九月二一日ころから川越開発事件に関する取調べを行ったが、当初、被告人吉村は、担保会員券が一〇〇〇枚位あり、また、別にアイチから担保会員券七〇〇~九〇〇枚位を譲り受けた旨述べていたものの、同月二三日、同検察官が、アイチの会員券につき「向うは会員券を被告人吉村に渡していないと言っている。」旨告げて問い質したところ、これを認め、売却した会員券は、自己が持っていた担保会員券一〇〇〇枚位のほか、被告人志賀から売却方を依頼された川越開発の会員券一五〇〇~一六〇〇枚位である旨を供述するに至ったため、同検察官は、その旨の同日付の供述調書を作成したことが認められる。右供述経過や供述内容に鑑みると、被告人吉村の供述についてその任意性を疑わしめる事情は未だ認められないものというべきであり、この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

もっとも、被告人吉村のその後の供述経過、供述内容をみるに、九月二九日付の調書(乙18)では、「昭和五二年一二月末ころ、川越開発の新会員券の印刷によって旧会員券が無効になってしまい、自己も何百枚かの旧会員券を持っていたが、これも失効してしまった」旨述べて(同調書四四丁)、売却した会員券の一部が担保会員券である旨の弁解を大きく後退させており、その後の乙19及び20の調書には、供述事項が会員券の売却に関するものではなかったとはいえ、担保会員券の枚数やアイチからの譲受けに関する供述がないことに徴すると、被告人吉村がその弁解を大幅に後退させるに至った原因が、九月二四日以降同月二九日までの間の検察官の取調べ方法ないし取調べ内容にあったのではないかとも考えられる。特に、被告人吉村にとって唯一の弁解ともいうべき担保会員券売却の主張が、わずか、旧会員券が新会員券の印刷によって無効となったとの理屈によって撤回され、以後に主張された形跡がないことに鑑みると、取調検察官において、この点に関する理詰めの質問を行い、法律的知識にうとい被告人吉村をして右弁解を諦めさせてこれを封じるに至ったものと考えられないではない。しかしながら、他方、被告人吉村が容易に右のような質問に屈し、検察官にたやすく迎合するとは到底考え難く、馬場証人も、被告人吉村は最後まで訂正すべきところは訂正を求めた旨証言しているところであり、一方、請園は同年九月二四日に釈放されており、被告人吉村の取調べ状況に関する同人の証言は、専らそれ以前の取調べに関するものと認められ、また、山田も同月二六日に釈放されていて、同人らの釈放を交換条件に被告人吉村に自白を迫るとの状況には遠かったと考えられること、その他馬場証言に照らして被告人吉村の前記乙18ないし20の供述を検討すると、未だその任意性を疑わしめる事情は認められないというべきである。ただ、その供述の信用性については十分な検討、吟味を要するところであり、当裁判所も、この点について慎重に対処した。

(二) 次に、被告人志賀の弁護人は、被告人吉村の右乙18ないし20の各調書について、その取調べは高圧的であり、一定の予断に基づき、多数存在した資料を十分に検討しないでなされたものであるから、刑訴法三二一条一項二号所定の特信情況がない旨主張する。

しかし、検察官が相反部分として指摘する点は、概ね被告人吉村及び被告人志賀の両名に共通する不利益事実の承認部分とみられるところ、被告人吉村の当公判廷における供述は、これに先行した被告人志賀の法廷供述の影響を多分に受けたものであることは否定し難く、更に、右乙18ないし20の各供述が任意性を有することは前示のとおりであって、しかも、自己に不利益な事実をも認める内容のものであることなどに鑑みると、右乙18ないし20の各供述については、その特信情況を優に肯認することができるというべきである。

弁護人の右主張は採用することができない。

2 被告人志賀の検面調書について

被告人吉村の弁護人は、被告人志賀の検察官に対する供述調書中、乙27の八項以下の部分、乙28及び29の全部並びに乙33の六項、一一項ないし一九項、二三項(但し、二つ目のもの)及び二七項について、「右各供述は、前記条約により被告人志賀がハワイで拘禁されていた間に、誤った調書特にアイチは会員券を担保にとったことはない旨の客観的事実に反する佐藤三郎の供述調書と被告人吉村の前記昭和五六年一〇月一六日付の供述調書とを閲覧した後になされたものであるから、刑訴法三二一条一項二号所定の特信情況がないものである。すなわち、被告人志賀は、右閲覧の結果、売却した会員券は担保会員券であるとの主張は検察官に通用し難いものと考え、その結果、売却された会員券が川越開発に帰属する会員券であることを認めたうえ、その刑事責任を被告人吉村に転嫁する弁解を考え出し、その旨の供述をしたものであって、特段の不利益事実の承認は存在しないうえ、内容的にみても、被告人志賀の右供述には不合理な点が少なくない。」旨主張する。

しかしながら、被告人志賀の検察官に対する右各供述が任意になされたものであることは、同被告人の当公判廷における供述に徴しても疑いのないところ、検察官が相反部分として指摘する供述記載は、不利益事実の承認部分といって差し支えなく、また、被告人志賀は、右各供述に先立ち、被告人吉村の供述調書や関係者の供述調書を閲覧する機会を有しており、自己の調書の作成にあたってはその用語の使い方等細かなところまで気を配り、検察官に訂正を求めるべき点は訂正を求め、供述調書の重要性を十分に認識してこれに対処していたものと認められ、更に、被告人志賀の当公判廷における供述には不自然、不合理な点も見受けられること等に鑑みると、前記乙27ないし29及び33の各調書については、その信用性につきなお検討が必要であるとしても、その特信情況はこれを肯定することができるというべきである。

弁護人の右主張は採用することができない。

第三パレスゴルフクラブ事件について

一 判示第三の五1「約束手形一〇通の横領」について

1 被告人吉村の弁護人の主張等

被告人吉村は捜査段階で一貫して犯行を自白している。しかし、被告人吉村の弁護人は、判示認定にかかる別紙(四)番号1ないし10記載の約束手形一〇通の横領につき、犯罪成立に否定的な意見を述べており、すなわち「被告人吉村は、ローデムに対する売買代金につき値引き等決済の仕方が未定であったため、これについての合意が成立するまでの間右手形を手許に置き、パレスゴルフのため、関係会社である(株)千代田等に貸し付けて運用したものである。すなわち、番号1及び2の手形は、その取立口座である三和・青山の角名崇名義の口座から当該取立金の払戻しを受けて運用し、また、その余の番号3ないし10の手形については、ローデムの懇請により、これを昭和五四年五月二日に別紙(六)記載の番号1ないし18の約束手形一八通に書き替え、うち番号1、3、5、7、10、11、13及び14の手形は、ローデムで現金と交換して運用し、番号2の手形は、三和・青山の(株)パレスゴルフクラブ名義の口座で取り立て、番号4の手形は、東京都民・本店の吉田嘉郎名義の口座で取り立て、番号6の手形は、東京都民・麻布の岡田義夫名義の口座で取り立て、番号8、9及び12の手形は、三菱・六本木の小林邦彦名義の口座で取り立て、それぞれ各取立金の払戻しを受けて運用し、番号15ないし18の手形は、それを(株)熊谷組にフェニックスビルの建築代金の一部として手渡して運用したものであって、結果的に業務上横領の刑責を負うことはやむを得ないとしても、刑法上の非難をあえて加えるまでもない軽微なものである。」旨主張し、被告人吉村も、当公判廷において、「本件約束手形一〇通については、支払期日の延期も考えられたし、また、値引きの場合も考慮する必要があったため、自己において保管し、ローデムの決済状況に応じて逐次パレスゴルフのために別途取立てを行うつもりであったものであり、約束手形一〇通を手許に保管した当時、これを横領する意思はなかったものである。」旨供述し、捜査段階における供述と異なる供述をしている。

2 当裁判所の判断

関係証拠によれば、次の事実が認められる。

(一) 被告人吉村は、判示のとおり、昭和五三年八月にローデムから受け取った当初の約束手形一八通はこれをパレスゴルフの経理責任者である請園に手渡して以後の取立てを命じ、また、書替え後の別紙(四)記載の番号1ないし20の手形のうち番号11ないし20の金額二〇〇〇万円の手形一〇通についても、前同様請園に手渡してその取立てを命じているが、本件の番号1ないし10の金額一〇〇〇万円の手形一〇通はこれを請園に手渡さず、共同ビル自室の金庫内に保管していること

(二) しかも、被告人吉村は、右金額二〇〇〇万円の手形一〇通のみを請園に手渡した際、同人に対し、販売代金を一億円値引きして来た旨嘘を言ってそのように経理処理をするよう命じ、自己が本件一〇通の手形を所持していることを同人に秘していること

(三) その後、請園に手渡された右金額二〇〇〇万円の手形一〇通は、パレスゴルフの仮名口座で、社内の経理担当者間では知られている佐々木黎二(関与弁護士の実名)名義の口座で取り立てられているが、被告人吉村は、本件約束手形一〇通のうち番号1及び2の二通については、別に(株)千代田の社員皆川修二等をして、期日に被告人吉村の仮名口座である三和・青山の角名崇名義の口座で取り立てさせていること

(四) 本件約束手形一〇通のうち番号3ないし10の手形八通は、その後昭和五四年五月二日ころ、ローデムの要求により別紙(六)記載の手形一八通に書き替えられており、被告人吉村は、いずれも前同様これらを社長室の金庫内に保管したうえ、うち番号1、3、5、7、10、11、13及び14の各手形は期日ころにローデムで現金等と交換し、番号2の手形については、三和・青山のパレスゴルフ名義の口座で取り立て、番号4の手形については、東京都民・本店の吉田嘉郎名義の口座で取り立て、番号6の手形については、東京都民・麻布の岡田義夫名義の口座で取り立て、番号8、9及び12の各手形については、三菱・六本木の小林邦彦名義の口座で取り立て、また、番号15ないし18の各手形は、フェニックスビルの建築代金三億二三〇〇万円の中間金の一部として昭和五五年六月ころ(株)熊谷組に交付しているが、右吉田嘉郎、岡田義夫及び小林邦彦名義の各口座が被告人吉村の仮名口座であることは、同被告人の自認するところであり、パレスゴルフ名義の口座も、被告人吉村の仮名口座であると認められ、また右各取立て等はパレスゴルフの経理部門で行われていないこと

(五) 被告人吉村は、右仮名口座での取立金、あるいは期日にローデムで手形と引換えに入手した現金等をパレスゴルフの経理には入金しておらず、いずれも自己の裏資金に組み入れていること

(六) また、被告人吉村は、昭和五四年九月下旬ころ、請園が、真実は値引きではなく、一億円の手形が被告人吉村の手許にあったことを知って、同被告人に経理処理についての指示を求めた際、請園に対し、(株)千代田に対する遅延損害金か何かで処理するよう指示し、あくまでパレスゴルフの金銭ではないものとして経理処理をするよう命じ、請園は、その後、被告人吉村の意を付度して、経理課員出口一男をして、「貸方・受取手形一億円、借方・支払手数料一億円」の振替伝票を作成させ、受取手形一億円が手数料として(株)千代田に支払われた旨の架空の経理処理をさせていること

以上の事実が認められる。この事実に徴すると、被告人吉村には、本件手形一〇通について、これをローデムから持ち帰りながら請園に手渡さなかった時点において、既に横領の犯意が発生していたものと認めるのが相当である。

被告人吉村は、右(一)の点につき、当公判廷において、本件手形一〇通は、支払期日の延期や売買代金の値引き等も考えられたため、これを請園に手渡さずに自己の手許に置いて保管していた旨供述するが、支払期日の延期ないし売買代金の値引きによる手形の書替えは、手形を請園に手渡していてもできることであって、わざわざ自己の手許に置いておかなければならならない必要性はなく、被告人吉村の右供述は、にわかに措信し難いといわざるを得ない。次に、右(二)の点について、被告人吉村は、当公判廷において、請園に対しては、差額一億円は値引きになるかもしれないので自分に対する仮払金なり(株)千代田に対する損害金なりで経理処理をしてくれと指示した旨供述しているが、請園は、検察官に対して、値引きとして処理するよう指示された旨供述しており、公判証言(第三回公判)もこの供述を否定し切っていない。また、被告人吉村は、昭和五五年七月ころに右値引きに照応する昭和五四年二月二五日付の取締役会議事録を作成するなどして事後工作を行っているのであって、これらに徴すると、被告人吉村の前記法廷供述はにわかに措信し難いものといわざるを得ない。更に、右の(三)の点について、被告人吉村は、当公判延において、角名崇名義の口座は自己の仮名口座ではなく、パレスゴルフの仮名口座であり、自己の手許で保管していた本件手形一〇通のうちの二通を右口座で取り立てたのは、右二通の手形が既にパレスゴルフから他の者の手に渡り、もはや支払いの延期ができないものであり、必ず決済をしなければならないものであるかのような外観を作るためであった旨供述するが、そうとすれば、前記佐々木黎二名義のものなどパレスゴルフの仮名口座で取り立ててもよいのであって、右供述は納得のいくものではない。また、三和・青山の角名崇名義の口座は、被告人吉村がパレスゴルフの経営者となる前の昭和五二年五月一九日に開設された口座(乙9添付資料参照)であって、被告人吉村の仮名口座であると認定するほかはない。こうした事情に照らしても、被告人吉村の前記法廷供述はにわかに措信し難いというべきである。

結局、被告人吉村の弁解は措信できず、弁護人の主張も採用することができない。

二 判示第三の五2「年会費四億七五〇〇万円の横領」について

1 被告人吉村の弁護人の主張等

被告人吉村の弁護人は、「被告人吉村が吉村口座から別紙(五)一覧表記載の各払戻しを受けたのは、関連会社間の資金の効率的運用を図る等のためであって、右各払戻しの時点においては、被告人吉村には未だ横領の犯意は発生していなかったものである。すなわち、番号1の二〇〇〇万円及び番号2の一億八五〇〇万円のうちの八〇〇〇万円については、被告人吉村は、パレスゴルフが(株)相模台ゴルフに二億円を開発費として融資する旨の契約を結んでいたため、その貸付金として払い戻したに過ぎず、現にいずれも(株)相模台ゴルフの名義で預金されて貸し付けられており、その後昭和五四年六月ころに、(株)相模台ゴルフの新コース造成計画が地揚げの行詰りから失敗に終わったため、(株)相模台ゴルフにおいて始めた金融業の資金として右一億円を使用したものである。また、番号2のうち残り一億〇五〇〇万円は、判示のとおり、(株)千代田が伊藤忠商事(株)のパレスゴルフに対する債権を代わって弁済した件につき、貸付元金を一億〇五〇〇万円とする金銭消費貸借契約書を作成していたため、その返済を受ける趣旨で、昭和五四年二月二八日にサービス口座から吉村口座に一億〇五〇〇万円を移し替えさせておいたところ、判示の経緯により、同年三月九日以降、右吉村口座が再びパレスゴルフのための年会費保管口座となり、右一億〇五〇〇万円が年会費と混同するに至ったため、被告人吉村は、再度吉村口座から返済を受ける趣旨で払戻しを受けたものである。次に、番号3の七〇〇〇万円については、被告人吉村は、東相・渋谷の行員高野登から個人名の通知預金にして欲しい旨懇請されたため、利息のよい通知預金にかえることとして払戻しを受けたに過ぎず、その後、この七〇〇〇万円は、吉沢章及び細谷政夫名義でパレスゴルフのため同支店に通知預金しており、ただ、昭和五五年四月一一日、右吉沢名義の四〇〇〇万円を(株)相模台ゴルフへの貸付資金として運用したものである。更に、番号4の二億円については、右高野及び東相・東銀座の行員二階堂幹夫から、それぞれ個人名の通知預金にして欲しい旨頼まれたため、前同様これを了承して二億円の払戻しを受けたに過ぎず、うち一億五〇〇〇万円は古川義之名義でパレスゴルフのため右渋谷支店に通知預金し、残額五〇〇〇万円は右東銀座支店に山崎秀司名義でパレスゴルフのため通知預金していたところ、右高野の依頼により、その後右渋谷支店の通知預金を全部個人名義の定期預金にかえ、昭和五五年七月一日、右定期預金のうちの五〇〇〇万円と右山崎名義の通知預金五〇〇〇万円との合計一億円を第一勧業・渋谷東邦生命ビルの(有)フェニックス名義の普通預金口座に入金し、貸し付けて運用し、引き続き同月三一日、右定期預金の残額一億円と前記細谷名義の通知預金三〇〇〇万円との合計一億三〇〇〇万円を、自己資金とともに協和信用組合本店の(有)フェニックス名義の普通預金に入金し、貸し付けて運用したものである。」旨主張し、被告人吉村も、当公判廷において、「(株)相模台ゴルフのため使用した一億四〇〇〇万円及び(有)フェニックス名義とした二億三〇〇〇万円は、いずれも、パレスゴルフからの正規の貸付けとして行ったものであって、自己の所有とする意思はなく、また残額一億〇五〇〇万円はパレスゴルフの(株)千代田に対する返済として受け取ったものである。」旨供述している。

2 当裁判所の判断

(一) まず、別紙(五)番号1の二〇〇〇万円の払戻し及び番号2の一億八五〇〇万円の払戻し中の八〇〇〇万円について検討するに、なるほど、関係証拠によれば、弁護人主張のとおり、被告人吉村は、知人の大瀬康一こと一靉から頼まれ、同人に協力する趣旨で番号1の二〇〇〇万円を払い戻してこれを駿河・麻布広尾に(株)相模台ゴルフ名義で定期預金し、番号2の一億八五〇〇万円の払戻金のうち八〇〇〇万円は東相・渋谷の(株)相模台ゴルフ名義の普通預金口座に入金していることが認められるけれども、しかしながら、関係証拠によれば、被告人吉村は、前示のようにパレスゴルフの当時の経理部長であった請園に対して、吉村口座から払戻しを受けて右各預金にかえた旨を告げてはおらず、定期預金証書も普通預金通帳も自己が保管し、また、これに符合したパレスゴルフから(株)相模台ゴルフに対する貸付け書類の作成もなく、かえって、被告人吉村は、昭和五四年四月二〇日ころ、請園に対して、右一億円についてはこれをパレスゴルフが(株)千代田から借り受けて(株)相模台ゴルフに貸し付けた旨の経理処理をしておくよう指示し、その際、「俺がその金を出してやるよ」と言っていることが認められ、また、そもそもパレスゴルフと(株)相模台ゴルフとの間に二億円の融資契約があったとは認め難く(この点に関する被告人吉村の当公判廷における供述はにわかに措信し難い。)、更に、当時パレスゴルフは、分割払いの了承を得ていたとはいえ多額の債務が残存していて、到底一億円もの融資が首肯される状態にはなかったものと認められる。加えて、判示のとおり、(株)相模台ゴルフは被告人吉村が実質経営者である会社であること等を併せ考えると、たとえ、右一億円の一部が(株)松村組に支払われるなど(株)相模台ゴルフのために使用された事実があるとしても、また、(株)相模台ゴルフの昭和五四年一二月期の確定決算報告書(弁128)中にパレスゴルフからの一億円の借入れが計上されているとしても、なお、被告人吉村がパレスゴルフから(株)相模台ゴルフに貸し付ける意図のもとに吉村口座から払戻しを受けたものとは認め難く、やはり被告人吉村は、自己ないし(株)相模台ゴルフの用途に充てるため自己の所有とする意思で払戻しを受けたものと認めるのが相当である。

(二) 次に、番号2の一億八五〇〇万円の払戻し中の一億〇五〇〇万円について検討するに、弁護人は、これが(株)千代田への返済として払い戻された旨主張するが、しかしながら、関係証拠によれば、被告人吉村は、右払戻金一億〇五〇〇万円のうち六〇〇〇万円を払戻した昭和五四年四月二三日のうちに東京都民・本店の吉田嘉郎名義の普通預金とし、残額四五〇〇万円のうち三七〇〇万円余を自己が買った株式の買付代金として大阪屋証券(株)横浜支店に支払い、残余は自己の手持資金としていること、その後右吉田名義の六〇〇〇万円の普通預金は、(有)フェニックスに対する架空預託金として使用されていること、また、パレスゴルフの経理上伊藤忠商事(株)からの借入金とされていた本件一億〇五〇〇万円が、昭和五四年四月七日付で仮受金勘定に振り替えられてはいるが、依然としてこの一億〇五〇〇万円は残っているものとして扱われており、これは被告人吉村の意向に沿ったものとみられ、更に、被告人吉村は、同年九月二一日、弁護士を代理人として(株)千代田とパレスゴルフとの間の即決和解を東京簡易裁判所で行わせた際、本件一億〇五〇〇万円の債権が依然として残っているとして和解をさせており、翌昭和五五年九月には、判示のとおり、(株)千代田はこの一億〇五〇〇万円を含む元金四億〇五〇〇万円の貸付債権を(有)辛川商店に譲渡しているとして、(有)辛川商店をして競落代金と相殺をさせていることが認められる。この事実に徴すると、たとえ昭和五四年四月分以降の利息(遅延損害金)が(株)千代田に支払われておらず(その理由について被告人吉村の自白(乙10)は是認できる。)、昭和五四年四月二三日付で(株)千代田の帳簿から抹消されているとしても、やはり、吉村口座から一億八五〇〇万円の払戻しを受けた時点において、被告人吉村には、うち一億〇五〇〇万円を(株)千代田に対する債務の返済として受けるものであるとの意思はなく、むしろ、専ら自己の所有とする意図のもとに払戻しを行ったものと認めるのが相当である。

(三) 更に、番号3の七〇〇〇万円及び番号4の二億円の各払戻しについて検討するに、関係証拠によれば、(1)被告人吉村は、東相・渋谷の行員の依頼を受けて、番号3の七〇〇〇万円の払戻金を、うち四〇〇〇万円は吉沢章名義で、うち三〇〇〇万円は細谷政夫名義でそれぞれ東相・渋谷の通知預金としているが、右はいずれも仮名の通知預金であり、しかも、被告人吉村は、請園に対して、吉村口座から払戻しを受けて右各通知預金にかえた旨を告げておらず、その預金証書と印鑑も自ら自室の金庫に保管しており、その後昭和五五年四月一一日、被告人吉村は、右吉沢名義の四〇〇〇万円を解約してその現金を(株)相模台ゴルフの顧客に対する貸付資金としているが、(株)相模台ゴルフに対する貸付け書類の作相もなく、また、右解約に併う利息約三五万円もパレスゴルフないしサービスに入金されてはおらず、(株)相模台ゴルフの前記確定決算報告によってもパレスゴルフからの借入れは一億円にとどまっていることが認められ、必ずしも真相を反映した記載とはみられない。また、(2)被告人吉村は、番号4の二億円の払戻金を、うち一億五〇〇〇万円は東相・渋谷の行員の依頼に応じ、同支店の古川義之名義の、うち五〇〇〇万円は東相・東銀座の山崎秀司名義の各通知預金としているが、右はいずれも仮名の通知預金であり、しかも、被告人吉村は、請園に対して、吉村口座から払戻しを受けて右各通知預金にかえた旨を告げておらず、その預金証書や印鑑も自ら自室の金庫に保管しており、その後一か月位して、被告人吉村は、右古川名義の通知預金を東相・渋谷の酒井誠名義の仮名通知預金五〇〇〇万円と同支店の石橋宏美、三上義行、工藤昭夫、渡辺昭介及び春木研二名義の各仮名定期預金二〇〇〇万円、合計一億円とに預けかえたうえ、昭和五五年七月一日、右酒井名義の通知預金五〇〇〇万円と前記山崎名義の通知預金五〇〇〇万円との合計一億円を解約して第一勧業・渋谷東邦生命ビルの(有)フェニックス名義の普通預金口座に移し入れ、その後これを(有)フェニックス名義で大瀬一靉ことOT企画に貸し付け、更に、同年七月三一日、前記細谷名義の通知預金三〇〇〇万円と前記石橋宏美ら五名名義の定期預金各二〇〇〇万円との合計一億三〇〇〇万円を解約し、これに(有)フェニックスの資金二〇〇〇万円を併せて、同日、協和信用組合本店に(有)フェニックス名義で通知預金しているが、被告人吉村は、請園に対して、これらの金銭の動きを知らせておらず、また、(有)フェニックスに対する貸付書類の作成もなく、右通知預金又は定期預金の各解約に伴う利息もパレスゴルフないしサービスに入れず、全て自己において取得していること、更に、(有)フェニックスは自己が実質上の経営者である会社であることが認められる。

これらの諸点を考慮すると、たとえ、(有)フェニックスの昭和五六年三月期の法人税確定申告書添付の決算書(弁127)中にサービスからの二億三〇〇〇万円の借入れが計上されているとしても、その作成時期に照らしても被告人の弁解の根拠たり得ず、被告人吉村は、吉村口座から前記七〇〇〇万円及び二億円の各払戻しを受けた時点において、自己ないし(株)相模台ゴルフ又は(有)フェニックスの用途に充てる目的で自己の所有とするため払戻しを受けたものと認めるのが相当である。

(四) 被告人吉村は、当公判廷において、前記のとおり、(株)相模台ゴルフ名義とした一億四〇〇〇万円及び(有)フェニックス名義とした二億三〇〇〇万円は、いずれも、パレスゴルフからの正規の貸付けである旨供述するが、仮に両者に対する貸付けがあったとしても、それは、被告人吉村において一旦横領した金員を貸し付けたものとみるのが妥当である。

なお、弁護人は、被告人吉村が昭和五四年二月二八日吉村口座を開設し一億〇五〇〇万円をサービス口座から振り替えたのは、(株)千代田が返済を受けるためであって、これに仮装したものではないなどと主張し、被告人吉村もこれに沿う弁解をし、結局、右金額は(株)千代田に対する弁済として受け取ったものである旨供述するが、昭和五四年二月ころサービス口座が差押さえを受ける虞れのあったことは高野登の証言(第六回公判)に照らしても明らかであり、被告人吉村の捜査段階における自白(主として乙10)中、この点の判示認定に関する部分は優に信用できる。被告人吉村には当時(株)千代田への返済として払戻しを受けるとの意思はなく、むしろ、債権の存在に藉口して払戻しを受けたものと認めるのが相当である。いずれにしても被告人吉村の供述は措信することができない。

(五) 結局、弁護人の右主張は採用することができない。

第四被告人吉村に対する所得税法違反事件について

一 「川越初雁会員券売却関係収入」について

被告人吉村の昭和五三年分の所得につき、別紙(七)修正損益計算書の雑所得中番号<4>の「川越初雁会員券売却関係収入」二億二七五〇万円の内訳は、昭和五三年一月にローデムから受領した金額一〇〇〇万円の手形一〇通一億円、同じく金額二〇〇〇万円の手形一〇通の半分の一億円、同年一二月にローデムから受領した金額一〇〇〇万円の手形三通の半分の一五〇〇万円、酒井口座からの払戻金の半分一二五〇万円であるが、被告人吉村は、当公判廷において、「ローデムから受領した右金額一〇〇〇万円の手形一〇通は、受領の当日自己がこれを割引きし、割引料約一五〇〇万円を差し引いた残額約八五〇〇万円につき、自己がアイチに債権譲受代金として三〇〇〇万円を現金及び約束手形で支払っていたため、この三〇〇〇万円分を右八五〇〇万円からトップオフし、残り約五五〇〇万円を被告人志賀と折半して約二七五〇万円(二五五〇万円と述べたのは言い間違いと思われる。)ずつを取得したものである。」旨供述し(第五六回公判)、右「川越初雁会員券売却関係収入」については、被告人志賀に手渡した右約二七五〇万円を控除すべきである旨主張するもののようである。

しかしながら、ローデムの副社長として関与した証人戸田浩は、被告人吉村から「被告人志賀には売却代金が二億円であったことにしておいて欲しい。」旨を依頼されたと供述していて、この供述は証言態度に照らしても優に信用できるものである。これに鑑みても、やはり、前記金額一〇〇〇万円の手形一〇通は、被告人吉村が被告人志賀に内緒で全額領得したものと認めるのほかはない。アイチ肩代わり分四〇〇〇万円のいわゆるトップオフは、たとえ是認できるとしても、前記金額二〇〇〇万円の手形一〇通の中からなされたものとするのが相当である。被告人吉村の右供述は措信することができない。

なお、被告人吉村は、右のとおり、川越開発の会員券売却代金として昭和五三年一月にローデムから受領した金額二〇〇〇万円の手形一〇通につき、うち二通を、アイチ肩代わり分を実質上補填する趣旨で、いわゆるトップオフして自己の取得とし、残る八通を被告人志賀と折半しているから、被告人吉村の前記「川越初雁会員券売却関係収入」は、真実は、二億二七五〇万円より二〇〇〇万円多い二億四七五〇万円であり、したがって、実際総所得金額も、判示認定の四億五八八九万円より二〇〇〇万円多い四億七八八九万円となるが、訴因として掲げられた被告人吉村の実際総所得金額は四億五八八九万円であるので、この限度で実際総所得金額を認定することとする。

二 違法所得について

次に、被告人吉村の弁護人は、弁論で触れなかったものの、「横領金は所得を構成しないものである。仮に構成するとしても、本件において、それが雑所得にあたるか疑問であり、また、その収入すべき時期を横領の時とすることにも問題がある。」旨主張しているものと思われる。

そこで判断するに、所得発生の有無は、その原因となる行為の適否に関係なく、横領された財物であっても、それが現実に横領した者の支配管理にはいった以上、所得税法三六条一項にいう収入金額に含まれるものと解するのが相当であり、本件において、被告人吉村は、判示各横領にかかる約束手形及び払戻金を現実に支配管理するに至っているから、右横領にかかる約束手形等を収入から除外すべきいわれはないというべきである。次に、横領にかかる約束手形等がどの所得を構成するかにつき検討するに、被告人吉村の本件判示第二の七の1ないし3並びに同第三の五の1及び2の各横領は、昭和五三年一月から昭和五五年三月までの間、前後一四回にわたってなされたもので、前示認定のような経緯、態様に照らし、右各横領は、所得税法二三条ないし三四条所定のいずれの所得にも該当しないから、同法三五条所定の雑所得にあたるものと解するのが相当である。また、右横領のうち、約束手形の横領による収入時期については、その支払期日ではなく、横領がなされた時であり、なお、所得税法三六条一項の「収入金額とすべき金額」とはその手形の額面金額であると解するのが相当である。

第五被告人志賀に対する所得税法違反事件について

一 「受取手数料」について

1 被告人志賀の弁護人の主張等

被告人志賀の昭和五三年分の所得につき、別紙(一〇)修正損益計算書の雑所得中番号<4>の「受取手数料」の金額は一億五九一〇万円であり、また、昭和五四年分の所得につき、別紙(一一)修正損益計算書の雑所得中番号<5>の「受取手数料」の金額は四〇八〇万円であるが、被告人志賀の弁護人は、真実の金額はこれよりはるかに少ない旨主張し、被告人志賀も、当公判廷において、同旨の供述をしている。

2 当裁判所の判断

(一) 関係証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(1) 被告人吉村は、(有)千代田に対し、<1>昭和五一年一二月から昭和五二年三月までの間に、前後一〇回にわたり、合計六億五〇〇〇万円を利息月四%(二六〇〇万円)で架空金主株式会社国際経営経済研究所(以下「(株)国際経経」という。)名義で貸し付け、<2>同年四月、三億円を利息月四%(一二〇〇万円)で架空金主荒木貞哲(以下「荒木」という。)名義で貸し付け、<3>同年一〇月、三億円を利息月二・五%(七五〇万円)で架空金主株式会社エムトレーダーズジャパン(以下「(株)エムトレ」という。)名義で貸し付け、これとは別に、<4>同年四月、五〇〇〇万円を利息月四%(二〇〇万円)で(有)千代田の名義上の代表取締役山川和夫名義で貸し付け、<5>昭和五三年一月、一億円を西原正雄名義で貸し付け、<6>同年四月、五〇〇〇万円を自己名義で貸し付け(但し、(株)千代田に対して)ていた。

(2) 被告人吉村は、被告人志賀に対し、右(1)の<1>ないし<4>の貸付け利息中から、脱税工作指導の対価、報酬として手数料を支払っていた(但し、<4>については、昭和五三年一月及び二月分は支払っていない(甲121及び215各参照)。)。

以上の事実が認められる。

(二) ところで、被告人吉村から被告人志賀に対していくらの手数料が脱税工作指導の報酬として支払われたかにつき、被告人両名の供述は、捜査段階の供述を含めて、大きく異なっている。そして、右各供述以外に、右手数料の割合(歩率)を直接認定し得る帳簿等の物的証拠はない。すなわち、被告人吉村は、当公判廷において、「ビバリー商事時代は、自己に対する利息の支払いを単に帳簿上荒木等の架空金主に支払ったことにし、その四分の一を被告人志賀に手数料として支払っていたが、(有)千代田になってからは、原則として、自己に対する利息の支払いは一旦架空金主名義の口座に入れ、これを被告人志賀において払い戻し、その中から約束の歩率に従って被告人志賀に手数料を支払うこととした。すなわち、(株)国際経経及び荒木に対する利息分は、いずれも、まずその四分の一を架空金主側の納税資金として被告人志賀が取得し、残り四分の三を被告人志賀一・二対被告人吉村一・八の割合で分け、結局、被告人志賀は四分の二・二を取得した。また、(株)エムトレに対する利息分は、前同様架空金主側の納税資金として二・五分の一を被告人志賀が取得したが、手数料は自分の方から頼んで免除してもらい、結局、被告人志賀は右の二・五分の一だけを取得した。更に、山川和夫に対する利息分についても、少なくともその五%は手数料として支払っている。」旨供述し(第四七回、四八回公判)、他方、被告人志賀は、当公判廷において、「(株)国際経経及び荒木分についてはそれぞれ利息の五%の一三〇万円及び六〇万円を、(株)エムトレ分についてはその四%の三〇万円を、山川分については二〇万円程度を毎月受け取っていたが、このほか、当初、架空金主からの(有)千代田に対する貸付けに際し、貸付金額の一%を受け取った場合もある。」旨供述し(第三二回公判)、被告人吉村のいう架空金主側の税務申告を引き受けたとの点についてはこれを強く否定している。

(三) そこで、まず、被告人志賀が架空金主側の税務申告を引き受けたか否かにつき検討するに、被告人志賀は、右のとおり、架空金主側の税務申告まで引き受けたことはない旨供述しているが、しかしながら、関係証拠によれば、被告人吉村は、ビバリー商事による金融業に関しいわゆる出資法違反の容疑で検挙され、(有)千代田がその業務を引き継ぐことになったものの、被告人両名において、警察や税務当局の追及が(有)千代田に及ぶことを懸念し、ビバリー商事時代のように単に帳簿上の架空金主を設定するだけでは不十分と考え、その対策として架空金主の口座を設定するに至ったことが認められる。こうした事情が背景となって、架空金主の口座に(有)千代田から利息が入金され、これが(有)千代田の帳簿等に公表されることになる以上、右利息の支払先たる架空金主側における受取利息の処置について被告人両名間で相談、協議がなされたであろうことは推測に難くなく、そうとすれば、被告人吉村が被告人志賀にその善処方を頼んだであろうことも容易に推認されるところである。

弁護人は、被告人吉村が用意した架空金主西原正雄等の税務申告が同被告人によってなされていないことを指摘し、これとの対比からいっても、被告人志賀の用意した架空金主側の税務申告だけするというのは、税務調査のはいることを防止するという目的からは無意味であって、やはり被告人志賀は架空金主側の税務申告を引き受けていないもの、そしてその納税資金も被告人吉村から受け取っていなかったものとみるのが妥当である旨主張する。しかしながら、被告人吉村の用意した架空金主とを同列に論ずることは適当ではない。

また、弁護人は、金融業者たる被告人吉村が、架空金主側の納税資金を被告人志賀に先渡ししていたというのも不可解であり、また、架空金主側の税務申告がなされていないことを知った後においても被告人志賀にこの点を問い質していないのも不可解である旨主張する。しかし、手数料の支払いと同時に納税資金を渡しておくということは、本件のような手数料の支払い形態に鑑みると必ずしも不可解とはいえず、また、被告人吉村が架空金主側の税務申告がなされていないことを知った後も被告人志賀に抗議をしていないとの点も、当時被告人両名が協力して(有)初雁の経営を行っていたという関係に鑑みれば必ずしも不可解とはいえず、そのままにしておくことも十分に考えられるところであって、弁護人の右主張にもにわかに賛成することができない。

(四) 右のとおり、被告人志賀は被告人吉村から頼まれて架空金主側の税務申告を引き受けたものと推認するのほかないところ、更に関係証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(1) 被告人志賀は、(有)千代田になってから自ら架空金主名義の口座を開設し((株)国際経経につき第一勧業・虎の門等、荒木につき横浜・鵠沼等、(株)エムトレにつき富士・青山)、原則として、被告人吉村の貸付金をこれに入金させてその後(有)千代田の口座に移し替え、これによって架空金主から(有)千代田に対する貸付けがあったもののように装い、また、利息の支払いも右架空金主名義の口座に入金させて証拠を残すようにし、その後、高橋をしてあるいは後には自ら、右口座から利息を引き出して被告人吉村のもとに持参し、これを予め定めた歩率に従って同被告人と分けているのであるが、脱税の方法はビバリー商事時代に比べて一段と巧妙化し、また、税務当局に対する防御も一段と手厚くなっている。

(2) 被告人吉村の歩率に関する供述、特に(株)エムトレ分の歩率が(株)国際経経及び荒木分のそれにより下がった経緯に関する供述は、捜査段階の供述を含め、いずれも具体的かつ自然であって、よくその間の事情を伝え、そして、(株)エムトレ分の歩率が下がったことは被告人志賀も認めるところである。もし、被告人吉村が歩率に関し自己に有利なような虚偽の供述をするのであれば、(株)エムトレ分につき歩率が下がったとか、あるいは、(株)エムトレ分については被告人志賀に対する脱税指導の報酬はなく、ただ納税資金を渡していただけであったとかの供述はしないのではないかとも考えられる。

(3) また、被告人吉村は、被告人志賀の指導にかかる前記のような方法を履践することにより、自己のいわゆる裏資金を(有)千代田ないし(株)千代田においていわゆる表に出し、公然と運用できる大きな利点がある。

(4) なお、仮に被告人吉村が昭和五三年中に(有)千代田及び(株)千代田から受け取った利息合計三億九〇〇〇万円(別紙(七)参照)全額を公表し、かつ、被告人志賀に脱税工作指導料一億五九一〇万円を支払わなかったとして同年分の税額を計算すると(但し、右計算上他の金額は全て公表金額による。)、二億八〇九四万五〇〇〇円となり、逆に、これを全額除外して税額を計算し、これに被告人志賀に支払う右指導料を加算すると、約一億五九六〇万円となり、その差は約一億二〇四〇万円になる。

以上の事実が認められる。これらの事実を前記(三)の事実と併せ考えると、被告人吉村が自己の取得分を超える最高五五%の歩率で被告人志賀に手数料を支払ったとしても、それは十分にあり得るものと考えられ、被告人吉村の前記(二)の供述は十分に措信できるというべきである。

確かに、弁護人主張のとおり、自己が金銭を出して貸付けをしているのに、その受取利息の五五%を被告人志賀に渡していたという被告人吉村の前記供述は、一見措信し難いようにも思われるけれども、しかしながら、被告人吉村にしてみれば、受取利息全額を公表した場合の税額を納付することに比べればはるかに(約一億二〇〇〇万円)得であり、かつ、また、それまでの自己の脱税が発覚しないという利点もあって、あながち不合理とはいい切れない。

(五) これに対し、被告人志賀は、当公判廷において、「(株)国際経経名義の貸付金が返済となった後の昭和五三年四月以降の手数料収入は、本来、荒木分六〇万円と(株)エムトレ分三〇万円との合計九〇万円となるべきところ、これでは少なかったので、被告人吉村に頼んで一〇〇万円程上乗せしてもらい、一九〇万円としてもらった。しかし、預金の出し入れを(株)千代田の従業員にしてもらっていたので、同人らに対する謝礼としてうち五万円を差し出し、結局、以後の手数料は一八五万円となった。昭和五三年一二月、昭和五四年一月ないし三月に、荒木又は(株)エムトレ名義の口座から、被告人吉村に持参する分とは別に一八五万円の払戻しがなされているのはその証左である。」旨供述する。しかし、まさに金融業を営む被告人吉村が一〇〇万円もの上乗せをしたとはにわかに首肯し難く、また、確かに、「千代田リース支払利息資金の流れ」と題する書面(被告人志賀の57・5・8.9(検)(乙33)添付資料)によれば、昭和五三年一二月及び昭和五四年一月ないし三月に荒木又は(株)エムトレ名義の口座から一八五万円が別に引き出されていることが認められるけれども、しかしながら、他方、右書面によれば、昭和五二年四月から八月まで(株)国際経経名義の口座から毎月三〇〇万円が別に引き出されていることが認められるのであって、しかも、右三〇〇万円は被告人志賀の供述する(株)国際経経分の手数料の額一三〇万円とは異なっており、これに鑑みると、一八五万円の払戻しが別になされていることをもって直ちに被告人志賀の前記供述を措信し得るものとすることはできないというべきである。

(六) 以上のとおりであって、弁護人の前記主張は採用することができない。そうすると、被告人志賀は、被告人吉村から、昭和五三年に一億五九一〇万円(<省略>)を、昭和五四年に四〇八〇万円{<省略>}をそれぞれ手数料として受領したものと認定することができる(甲211)。

二 「川越初雁会員券売却関係収入」について

被告人志賀の昭和五三年分の所得につき、別紙(一〇)修正損益計算書の雑所得中番号<3>の「川越初雁会員券売却関係収入」一億〇七五〇万円の内訳は、昭和五三年一月にローデムから受領した別紙(一)の番号1ないし10の金額二〇〇〇万円の手形一〇通中の八〇〇〇万円、酒井口座から払戻しを受けた別紙(二)の番号1ないし4の半分の一二五〇万円、同年一二月にローデムから受領した別紙(三)の手形三通の半分の一五〇〇万円であるが、被告人志賀は、当公判廷において、「ローデムから受領した右金額二〇〇〇万円の手形一〇通のうちの二通は、アイチ肩代わり分としてまず被告人吉村が取得した。残り八通一億六〇〇〇万円を八〇〇〇万円ずつに折半すべきところ、被告人吉村から、同被告人が昭和五三年一月二三日ころに(有)初雁に貸し付けた同社の運転資金四〇〇〇万円の半分を負担して欲しいと言われて、自己の取得分八〇〇〇万円中の二〇〇〇万円を差し出し、結局、自己の取得分は六〇〇〇万円となった。したがって、右「川越初雁会員券売却関係収入」は一億〇七五〇万円より二〇〇〇万円少ない八七五〇万円となる。」旨供述している。

しかしながら、関係証拠によれば、被告人志賀は、右金額二〇〇〇万円の手形一〇通中八〇〇〇万円を一旦自己において取得し、そのうえで、この中から二〇〇〇万円を被告人吉村に渡して、同被告人が(有)初雁に対して有する元金四〇〇〇万円の貸付債権の半分を譲り受けたものと認めるのが相当であるから、たとえ結果的に右一〇通の手形中六〇〇〇万円しか受け取っていなかったとしても、被告人志賀にはなお八〇〇〇万円の取得があったものというべきであり、被告人吉村に対する右二〇〇〇万円の支払いは、いわゆる資産取引として損金計上できないものというべきである(もっとも、右(有)初雁に対する二〇〇〇万円の貸付債権が、後の昭和五四年七月の被告人志賀から被告人吉村に対する後記六の債権譲渡の原価に算入されることは別論である。)。

他方、検察官は、右金額二〇〇〇万円の手形一〇通中被告人志賀が取得したのはその半分の一億円であって八〇〇〇万円ではなく、したがって、右「川越初雁会員券売却関係収入」は一億二七五〇万円となる旨主張している。しかしながら、関係証拠によれば、右一〇通中うち二通はアイチ肩代わり分として被告人吉村がまず取得し、残り八通を八〇〇〇万円ずつに折半していることが認められるから、被告人志賀の取得は八〇〇〇万円と認定するのが相当であり、検察官の右主張には賛成することができない。

三 「受取利息」について

被告人志賀の昭和五三年分の所得につき、別紙(一〇)修正損益計算書の雑所得中番号<1>の「受取利息」一六五七万四〇〇〇円の内訳は、<1>日本デベロに対する残元金一億三五〇〇万円の貸付債権の利息一三〇七万三〇〇〇円(関口から受け取った松永道徳振出しの金額三〇〇万円の約束手形二通、同東松山カントリークラブの会員券を現金化して得た二六七万三〇〇〇円、同川越開発発行の会員券四四枚合計四四〇万円)、<2>(株)ホートクプラザからの利息三二五万六〇〇〇円、<3>(株)東和からの利息二四万五〇〇〇円であるが、検察官は、右<1>の利息について、被告人志賀が関口から昭和五三年中に受け取った川越開発発行の会員券は九〇枚(金額合計九〇〇万円)であると主張し、検察官作成の捜査報告書(甲206及び207)でその算出経過を示している。

そこでこの点について検討するに、確かに、被告人志賀は、検察官に対して、関口から受け取った川越開発発行の会員券の枚数は九〇枚であるとしているが、これを売却して得たのは六〇〇万円位である旨供述している(乙33)。他方、関口は、捜査段階において六五枚と供述し(甲163)、また、当公判廷においては三五枚と証言している(第二六回公判)。更に、被告人志賀は、その被告人質問の段階で作成した「債権弁済充当一覧表」において、受け取った会員券は、昭和五三年中に四四枚を、昭和五四年中に一一枚をそれぞれ売却した旨述べている(第四一回公判等)。こうした証拠関係に鑑みると、検察官の主張は根拠が十分であるとは思われない。被告人志賀が日本デベロに対して有していた残元金一億三五〇〇万円の利息中、関口が川越開発発行の会員券で代払いしたものについては、結局、右「債権弁済充当一覧表」に従い、昭和五三年中に四四〇万円の、昭和五四年中に一一〇万円の各支払いがあったものと認定するほかはないものと思料される。そうとすると、被告人志賀の「受取利息」は、昭和五三年分につき一六五七万四〇〇〇円、昭和五四年分につき、検察官主張の一二三〇万円より一一〇万円多い一三四〇万円となる(別紙(一一)修正損益計算書雑所得番号<1>参照)。

なお、右のように被告人志賀の昭和五四年分の「受取利息」を一三四〇万円と認定することについては、訴因との関係で許されないのではないかとも考えられるが、しかし、これは、昭和五三年分の「受取利息」を被告人志賀に有利に(少額に)認定したことから生じたものであるから、このような場合には、訴因変更手続を経ることなく検察官主張の金額より多額に認定しても差し支えないものと解するのが相当である。

四 「鉢形関係収入」について

被告人志賀の昭和五四年分の所得に関し、別紙(一一)修正損益計算書の雑所得中番号<6>の「鉢形関係収入」二〇〇〇万円を認定したが、被告人志賀の弁護人はこの二〇〇〇万円の収入はない旨主張し、被告人志賀も当公判廷において同旨の供述をしている。

そこで判断するに、関係証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(1) 日本デベロは、ゴルフ場建設のため、昭和五二年五月二六日ころ、寄居町鉢形財産区から代金五億三四六六万三六〇〇円で約七万坪の土地を買い受け、手附金として、合計一億〇六九三万二七二〇円を支払ったが、その後昭和五三年一月に倒産してしまった。

(2) 被告人志賀は、関口から、日本デベロのゴルフ場建設計画の継承を求められてこれを引き受け、同年四月株式会社鉢形カントリー倶楽部(以下「(株)鉢形カントリー」という。)を設立して自ら代表取締役となり、被告人吉村に対して、右計画遂行のための地元寄居町農業協同組合鉢形支所に対する預金を要請した。

(3) 被告人吉村は、これを了承して、同年四月一三日、右鉢形支所に(株)鉢形カントリー名義で合計五億円の普通預金をした。

(4) その後同年一二月に至り、先に日本デベロが前記財産区に対して支払っていた前記手附金のうちの九三七六万五一五四円が、右財産区との売買契約の解除によって日本デベロに返って来ることとなったため、被告人志賀は、関口の了解を得て、これを右鉢形支所の(株)鉢形カントリー名義の普通預金口座に入金することとし、これによって、同年一二月六日に九三七六万五一五四円が右口座に入金された。

(5) なお、右口座には、利息として、昭和五三年九月八日に一五五万五八八九円が、昭和五四年三月五日に六四万〇九九六円が、同年九月三日に二〇万七〇八九円がそれぞれ入金された。

(6) 一方、同口座からは、昭和五三年一〇月に合計四億五〇〇〇万円が、同年一二月六日に一〇〇〇万円が、同月一六日に八四五五万五八八九円が、同月二八日に九三万四六二六円が、昭和五四年三月二三日に五〇〇万円が、同年七月一六日に二五〇〇万円が、同年九月二〇日に二〇〇〇万円が、昭和五五年二月一八日に六七万八六一三円がそれぞれ引き出され、残高が零となっている。

以上の事実が認められる。検察官は、右(6)の各払戻しのうち、昭和五四年九月二〇日払戻しの二〇〇〇万円を被告人志賀が取得したものと主張しているが、被告人志賀はこれを否定している。

確かに、関係証拠によれば、弁護人主張のとおり、右(株)鉢形カントリー名義の口座の通帳や印鑑を保管していたのは被告人吉村であり、各払戻しの手続を行ったのも(株)千代田の社員皆川であることが認められるけれども、しかしながら、被告人吉村は、捜査段階から、右昭和五四年九月二〇日の払戻し分二〇〇〇万円については被告人志賀に手渡している旨述べており、しかも、被告人吉村が当時つけていた手帳の九月二〇日の欄には「鉢形預金下し志賀渡し」と記載されていることに徴すると、右二〇〇〇万円は被告人志賀に手渡されたものと認めるのが相当である。弁護人の右主張は採用することができない。

五 島掛及び弟志賀雅之支払分について

更に、弁護人は、被告人志賀は、昭和五四年中に島掛及び弟の志賀雅之に対し、それぞれ三〇〇〇万円及び八〇〇万円を与えており、これは損金に計上され得るものである旨主張する。

確かに、関係証拠によれば、被告人志賀は、昭和五四年七月一一日ころ、自己が(有)初雁に入社させてコースの支配人とした島掛に対し、突然(有)フェニックスの経営から手を引くこととなった詫料の趣旨で四〇〇万円を、また、それまで勤めていた会社を辞めさせて(有)初雁に入社させた弟雅之に対しても前同様の趣旨でそのころ八〇〇万円をそれぞれ支払っていることが認められる(被告人志賀は、捜査段階以来、島掛に対して、同年七月一一日ころに一〇〇〇万円を、また同年九月ころに二〇〇〇万円を支払った(但し、後者については島掛に対する貸金等と相殺したため実際に手渡したのは約一七六〇万円である。)旨供述しているが、右供述は、これを否定する島掛の証言(第二三回公判)等に照らしにわかに措信することができない。)けれども、しかしながら、右は、いずれも必要経費とは認め難く、いわゆる資産の処分というべきものであって、未だ損金に計上することのできないものであるから、弁護人の右主張は採用することができない。

六 「債権譲渡原価」等について

ところで、被告人志賀は、判示第二の六記載のとおり、昭和五四年七月九日に、自己の川越開発や(有)フェニックス等に対する債権全部と、(有)フェニックスの代表取締役社長としての地位とを、代金合計四億円で被告人吉村に譲り渡していることが認められるので、前者の原価(別紙(一一)修正損益計算書の雑所得中番号<8>の「債権譲渡原価」参照)につき検討するに、検察官は、これを、被告人志賀が日本デベロないし川越開発に対して有していた貸付債権の元金一億三五〇〇万円であると主張している。しかし、当裁判所は、別紙(一一)に記載のとおり、二億〇一九五万二〇〇〇円と認定したので、以下、その理由を説明する。

1 日本デベロないし川越開発に対する貸付債権元利合計一億八一九五万二〇〇〇円

関係証拠によれば、被告人志賀は、日本デベロないし川越開発に対し、既に返済期限の到来した元金一億三五〇〇万円の貸付債権を有していたが、その遅延損害金(一か月四・五%、六〇七万五〇〇〇円)は、昭和五二年一二月分のうちの三〇〇万円(金額につき乙33、被告人志賀の第四一回公判供述等参照)の支払いがあったのを最後に、それ以後はなく、そこで、被告人志賀は、関口から、遅延損害金として毎月三〇〇万円の支払いを受けることとし(乙33)、昭和五三年一月及び二月分として松永道徳振出しの金額三〇〇万円の手形各一通を受け取り(うち一通は期日の同年七月二五日に決済され、うち一通は期日の同年八月二五日に不渡りとなったが関口が現金で買い戻した。)、また、同年三月分として、東松山カントリークラブの会員券を受け取ってこれを(株)トキワゴルフで現金化して二六七万三〇〇〇円を取得し(甲206)、更に、前記三記載のとおり、川越開発発行の会員券を受け取り、これを、昭和五三年四月に一二枚、同五月に五枚、同六月に四枚、同七月に五枚、同八月に九枚、同九月に一枚、同一〇月に四枚、同一二月に四枚、昭和五四年三月に七枚、同四月に四枚売却し、一枚につき一〇万円を入手していることが認められる。

そこで、右事実を前提とし、かつ、利息制限法所定の制限を超える未収の利息・損害金の処理に関する最高裁第三小法廷昭和四六年一一月九日判決(民集二五巻八号一一二〇頁)の趣旨に従って、被告人志賀の未収の遅延損害金の累計額を計算すると、別紙(二三)計算書記載のとおり、昭和五三年一二月末で二七八〇万二〇〇〇円(うち昭和五三年中に発生じたものは二七四二万七〇〇〇円)、昭和五四年六月末で四六九五万二〇〇〇円(うち昭和五四年中に発生したものは一九一五万円)と算出される(なお、遅延損害金は、利息制限法四条一項により年三割となる。)。

そうすると、昭和五四年七月九日現在の貸付債権の元利合計額は、一億八一九五万円二〇〇〇円となる。

2 (有)フェニックスに対する元金二〇〇〇万円の貸付債権

被告人志賀は、前記二記載のとおり、被告人吉村が(有)フェニックスに対して有していた元金四〇〇〇万円の貸付債権(無利息)の半分の二〇〇〇万円を、昭和五三年二月下旬ころ、二〇〇〇万円を支払って譲り受けたことが認められる。

3 以上の事実によれば、本件「債権譲渡原価」は、日本デベロないし川越開発に対する貸付元金一億三五〇〇万円、未収の遅延損害金四六九五万二〇〇〇円、(有)フェニックスに対する貸付元金二〇〇〇万円の合計二億〇一九五万二〇〇〇円と認められる。

4 なお、右によれば、<1>被告人志賀の昭和五三年分の所得については、同年中に発生した未収の遅延損害金前記二七四二万七〇〇〇円が、また、<2>昭和五四年分の所得については、同年中に発生した未収の遅延損害金前記一九一五万円が、それぞれ益金計上されなければならないものと考えられるが、右<1>については、検察官の主張する勘定科目外であり、また、被告人側に防御の機会が与えられたともいい難いので、これを所得計算上考慮に入れなかったが、右<2>については、たとえそれが検察官の主張する勘定科目外であり、かつ、被告人側に防御の機会が与えられたともいい難いとしても、右は、損金科目たる「債権譲渡原価」を被告人の有利に(多額に)認定することの当然の前提として生ずるものであり、かつ、同じ昭和五四年中に発生したものであるから、訴因の変更手続を経ることなく所得計算上考慮に入るものと解し、別紙(一一)修正損益計算書の雑所得中番号<9>のとおり益金計上した。

第六法人税法違反事件について

一 「支払利息」について

被告人吉村の弁護人は、(株)千代田の本件昭和五五年三月期の所得に関し、「(株)千代田は、前期の昭和五四年三月に被告人吉村に対して合計二五五〇万円の利息を支払っているが、このうち一四九六万七七四二円(<1>貸主荒木分につき、三月二〇日支払いの一二〇〇万円中の七三五万四八三九円、<2>貸主(株)エムトレ分につき、同月一三日支払いの七五〇万円中の二九〇万三二二六円、<3>貸主山川分につき、同月二四日支払いの二〇〇万円中の一四八万三八七〇円、<4>貸主西原分につき、同月二六日支払いの四〇〇万円中の三二二万五八〇七円)は、当期の昭和五四年四月中の数日間分の利息の先払いであるから、右金額は、検察官主張の当期支払利息四三五〇万円に加算されるべきである。」旨主張する(第二回公判)。

しかし、関係証拠によれば、前示にもあるように、(株)千代田の右各債務は、(有)千代田時代から存続していたものを昭和五三年四月一日に引き継いたもので、利息はこの四月を含め毎月一回定額をもって支払われるべきものとされていて、この支払に関し(株)千代田の昭和五五年三月期の決算上特段の処理もなされていないことなどに鑑みると、右の利息は、支払われるべき日を含む月ひいては年における損金として計上すべきものと認めるのが相当である。弁護人の主張は採用できない。

二 「雑収入」について

次に、右(株)千代田の昭和五五年三月期の所得に関し、別紙(一三)修正損益計算書番号<18>の「雑収入」として八五〇万円を認定している点につき、弁護人は、「(株)千代田は、恵和鋳造に対する貸金元本三三〇〇万円のうち二五〇〇万円を回収したが、当期において残額八〇〇万円は貸倒れとなったものであるから、むしろ右八〇〇万円を損金として認定すべきである。」旨主張する。

しかしながら、関係証拠によれば、(株)千代田は、恵和鋳造(株)に対して元金三三〇〇万円の貸付債権を有していたところ、その回収の見込みがなくなったため、前期である昭和五四年三月期にその半額の一六五〇万円を貸倒れとして損金処理したが、当期において右恵和鋳造(株)から二五〇〇万円の返済があったことが認められる。そうとすると、帳簿上残存している元金一六五〇万円と右返済分二五〇〇万円との差額八五〇万円は、今期において、償却債権取立益として益金計上すべきものである。弁護人の右主張は採用することができない。

三 犯意について

次に、弁護人は、(有)フェニックスの本件昭和五五年三月期の秘匿所得に関し、被告人吉村には、別紙(一七)修正損益計算書番号<36>の「賃借科」及び番号<43>の「支払手数料」の各過大計上額二五四〇万七〇〇〇円及び五億四一七〇万円中、前者につき全額及び後者のうちの八〇〇万円についてはほ脱の犯意がなかった旨主張する。

そこで、判断するに、関係証拠によれば、

(1) (有)フェニックスは、昭和五四年九月一日に日立リース(株)との間で向う三四か月間(昭和五七年六月まで)のヤマハゴルフカー五〇台のリース契約を結び、同年一〇月二三日、賃料として三一九九万四〇〇〇円(概ね一か月九四万一〇〇〇円)を支払ったが、(弁27)、これにつき、本件昭和五五年三月期の決算、申告事務を担当した請園やその補助事務員らにおいて、いわゆる期間損益の計算をしなかったため、本来は右三一九九万四〇〇〇円の三四分の七にあたる六五八万七〇〇〇円のみを損金計上すべきところ全額を損金計上したこと

(2) また、(有)フェニックスは、昭和五四年九月一七日、自社ビル建設のため(株)ミツウロコから港区西麻布所在の土地代金四億三一四〇万円で購入し、その仲介人たる(株)同栄に対し、同年一〇月三日ころ、仲介手数料八〇〇万円を支払ったが、これにつき、請園は、本来は右八〇〇万円を土地取得原価に算入して資産科目に計上すべきところを損金科目たる「支払手数料」に加算して計上したこと

以上の事実が認められる。そして、右の各誤処理が被告人吉村の指示によるとか、請園や経理担当の事務員らにおいて故意に行ったことを認めさせる直接の証拠はない。もっとも、例えば右(2)につき、請園の検察官に対する供述(甲27)と公判供述(第一〇回公判)は一貫しないものであり、(有)フェニックスの右決算のため準備された第一勧業銀行調査表写し(甲26添付)には、登記費用の下欄に続けて「同栄手数料8,000,000 土地a/c手ス料(紹介)」とあり、決算調整資料写し(甲57添付)の記載を併せて考えると、請園は右八〇〇万円が不動産仲介手数料で取得原価を構成することを知りながら、あえて経費として処理したのではないかとの疑いも払拭できない。しかしながら、それはそれとして、関係証拠によれば、被告人吉村は、当初から本件昭和五五年三月期の雰申告ないし欠損申告を企図し、そのために、多額の預託金等の受入れを仮装、作出し、これに伴ってローデムに五億三三七〇万円の販売手数料を支払ったとして同額の損金を計上させ、これと益金計上した架空の入会金三億〇五六〇万円(別紙(一七)番号<4>参照)との差額二億二八一〇万円をもって実際の所得を消し、多額の欠損申告をさせたものであることが認められる。また、当時、請園は被告人吉村の指示により他の関連会社の脱税決算も担当し、二重帳簿作りなどもあって多忙を極めていたものであることが認められ、被告人吉村も請園の多忙を知りながら、不正申告のためには担当を他へ振り替えたり、補助事務員を増やすこともしなかったものと推認することができ、若干の誤処理が出たとしても、それが不正申告の趣旨に沿うものであれば、むしろ被告人吉村の容認するところであったともいえる。こうした事情によれば、たとえ被告人吉村が請園の右各誤処理に気づかなかったとしても、被告人吉村において他の多額の架空支払手数料の作出に深く関与し、しかも、右各誤処理も被告人吉村の納税に対する姿勢が影響して生じたものと認められ(現に、請園は、事務員の竹下によって作成された残高試算表の中にはあるいは正しくない経理処理があるかもしれないが、どうせ架空販売手数料を多額に計上して赤字の申告をするのであるから、それでもかまわないという気持であった旨供述している(甲26)。)、かつ、右各誤処理が結局のところ被告人吉村の容認するところであったと考えられることに徴すると、ほ脱の犯意に欠けるところはないというべきである。

なお、仮に弁護人主張のとおり、前記各過大計上につき被告人吉村にその認識がなかったとしても、被告人吉村は、前記のとおり、損金計上した五億三三七〇万円と益金計上した三億〇五六〇万円との差額二億二八一〇万円をもって実際所得を消そうとしたものであり、かつ、右二億二八一〇万円は実際所得金額八七九四万七七〇一円を秘匿するに十分なものであったのであるから、被告人吉村には実際所得の全額につき秘匿の意思があり、したがって、免れた税額全部につきほ脱の犯意があったものというべきである。

弁護人の右主張は採用することができない。

四 被告会社聖観光のほ脱税額について

関係証拠によれば、被告人吉村は、昭和五四年六月四日ころ、被告会社聖観光の本件昭和五四年三月期の決算、申告事務を担当した高橋と相談のうえ、右昭和五四年三月期の同社の所得金額を三三九万円、その法人税額を六〇万八七〇〇円として虚偽過少の申告をすることとし、その納税資金として地方税二四万五六一〇円を含む現金八六万円を高橋に手渡すとともに、金額はあとで高橋に記入させるつもりで、確定申告書別表一(一)(一枚目)の金額欄白地(別表四に一部金額の記載あり)の法人税確定申告書用紙(符5)の代表者欄に押印して高橋に手渡し、後に同人において金額を記入のうえ所轄税務署に提出するよう依頼していたところ、高橋はその後右八六万円を使い込んだため、判示申告書提出期限の同年六月三〇日に、右申告書用紙の金額欄になんらの記入もしないまま、同申告書の別表二、四及び五(一)、(二)をつけ、貸借対照表を添付して、所轄川崎南税務署の夜間投函箱に入れて提出したこと、以上の事実が認められる。

右事実によれば、被告人吉村には少なくとも昭和五四年六月四日の時点で法人税六〇万八七〇〇円を納付する意思があったもので、かつ、実際にも右六〇万八七〇〇円を含む現金八六万円を高橋に手渡しており、結果的に所得金額及び納付すべき法人税額はない旨の申告に終わったのは、高橋が預かっていた納税資金を使い込んだうえ、法人税確定申告書の所要金額欄を補充せず白地のまま提出したためであると認められる。このような場合には、免れた税額のうち右六〇万八七〇〇円については被告人吉村にその刑責を問うことができないのではないかとの疑問を生ずる。

しかしながら、被告人吉村は、前認定のとおり、被告会社聖観光の本件昭和五四年三月期につき、実際所得金額が四五〇〇万円余であったにもかかわらず、うちわずか三三九万円を申告することとし、その大部分を秘匿しようとしたものであって、虚偽過少申告の意思で虚偽過少申告の結果を生じたことに変わりはなく、ただ、その秘匿所得額が増えたに過ぎないものである。しかも、被告人吉村は、数字はあとで高橋に記入させるつもりであったとはいえ、所得金額及び税額とも何ら記入されていない法人税確定申告書の代表者欄に押印しただけであるうえ、右申告書提出までの間に高橋に右の補充を確認しようとした事跡もない(甲43参照)から、このような場合には、未だほ脱の犯意を阻却しないものというべきである。

(法令の適用)

被告人吉村の判示第二の七の1の所為、同2の各所為及び同3の所為は、いずれも刑法六〇条、二五三条に、判示第三の五の1の所為及び同2の各所為は、いずれも同法二五三条に、判示第四の一及び二の各所為は、いずれも、行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては右改正後の所得税法二三八条一項に、判示第六の一ないし五の各所為は、いずれも、行為時においては右昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては右改正後の法人税法一五九条一項にそれぞれ該当するが、判示第四の一及び二の各罪並びに判示第六の一ないし五の各罪は、犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、いずれも、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第四の一及び二の各罪につき、いずれも所定の懲役刑と罰金刑とを併科し、かつ、各罪につき情状により所得税法二三八条二項を適用することとし、判示第六の一ないし五の各罪につき、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第二の七の1の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については、同法四八条二項により、各罪の罰金額を合算し、その刑期及び罰金六〇〇〇万円に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二五〇日を右懲役刑に算入し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人吉村を労役場に留置することとする。

被告人志賀の判示第二の七の1の所為、同2の各所為及び同3の所為は、いずれも刑法六〇条、二五三条に、判示第五の一及び二の各所為は、いずれも、行為時においては右昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては右改正後の所得税法二三八条一項にそれぞれ該当するが、判示第五の一及び二の各罪は、犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、いずれも、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第五の一及び二の各罪につき、いずれも所定の懲役刑と罰金刑とを併科し、かつ、各罪につき情状により所得税法二三八条二項を適用することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第二の七の1の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については、同法四八条二項により各罪の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人志賀を懲役三年六月及び罰金一億円に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一五〇日を右懲役刑に算入し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人志賀を労役場に留置することとする。

更に、被告人吉村の判示第六の一の所為は被告人(株)千代田の、同二の所為は同(株)相模台ゴルフの、同三の所為は同(有)フェニックスの、同四の所為は同有限会社聖観光の、同五の所為は同有限会社丸商の各業務に関してなされたものであるから、右各被告会社については、右各罪につき、右昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一六四条一項により、右改正前の法人税法一五九条一項の罰金刑に処せられるべきところ、いずれも情状により同条二項を適用し、その各金額の範囲内で、被告人(株)千代田を罰金一八〇〇万円に、同(株)相模台ゴルフを罰金七〇〇万円に、同(有)フェニックスを罰金七〇〇万円に、同有限会社聖観光を罰金五五〇万円に、同有限会社丸商を罰金六〇〇万円にそれぞれ処することとする。

なお、訴訟費用については、証人松浦昭に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人吉村に負担させることとし、証人岡野今雄及び同落合敦子に支給した分は同法一八一条一項本文、一八二条により被告人吉村及び被告人志賀に連帯して負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、高利の金融業者である被告人吉村と会計士補で脱税工作の指導などをしていた被告人志賀の両名が共謀のうえ川越開発の社金等合計三億七六〇〇万円余を横領し、被告人吉村が単独でパレスゴルフの社金等合計五億七五〇〇万円を横領したほか、被告人吉村においてその所得税合計六億八二〇〇万円余をほ脱するとともに、経営五法人の各法人税合計一億四五〇〇万円余を免れ、また、被告人志賀においてその所得税合計三億七八〇〇万円余をほ脱したという事案である。そのうち、二つの業務上横領事件は、横領額の多額であることもさることながら、河川敷とはいえゴルフファンに親しまれて来た川越初雁カントリークラブと、名門ともいわれたパレスカントリークラブという二つのゴルフ場の経営会社が舞台となったもので、多数のメンバーが事件に巻き込まれ、被害の余波を受けていて、及ぼした影響の広般であったことはいうまでもなく、それとともに、ゴルフ会員券の発行は現代の錬金術であるとの発想が犯行の根底に流れていた点も見逃せない。また、各所得税法違反におけるほ脱所得のかなりの部分がこうした横領金額で占められている点も特異なものとして指摘できる。更に、本件は、被告人志賀につき日米犯罪人引渡条約の適用第一号としても世間の関心を集めたものである。

そこで、各事件ごとに検討するに、まず、川越開発事件は、川越開発の大口債権者であった被告人両名が、同社の事実上の倒産により債権者委員会の委員長及び副委員長に選ばれ、同社の実質上の経営者となるや、大量の会員券を乱売し、昭和五三年一月から翌昭和五四年四月までの間、前後九回にわたり、この会員券売却代金合計三億七六〇〇万円余(約束手形二三通合計三億三〇〇〇万円、預金四六〇〇万円余払戻し。)を業務上横領したという事案である。すなわち、被告人両名は、川越開発に多額の債権を有していたのであるが、資本、経営の両面で川越開発を支配する地位を獲得したうえ、同社には担保のない預託金債権者(会員)のものを含め前示のような多額の債務があったのであるから、外部の債権者以上に、公私のけじめを厳につけるべきであったにもかかわらず、これを破ったばかりでなく、会員券の発行に事実上制限がないことに目をつけ、大量の会員券(被告人吉村の供述によると合計二七五三枚)を乱売し、約一年余の長きにわたり会社の再建、維持に貴重な多額の会員券売却代金を横領したもので、横領手形はいずれも現金化されており、しかも、こうした犯行は事前の共謀に基づく計画的なものであったということができる。なお、被告人両名は、川越開発が手形を不渡りにし、高利のものを含め多額の債務を負担して倒産の危機に瀕していることを承知のうえで川越開発に乗り込んだものであるから、川越開発に対し追加して貸付け、出資をすることは、むしろ当然に予想できたことであって、こうした事情のゆえに、本件横領の犯行が正当化されるものではない。そもそも、被告人両名の川越開発に対する債権は、裏金で高利かつ切り換えを重ねて来たもので、法的手段による手続でどこまで容認されるものであったかは問題であり、これを避け私的再建策によることは、むしろ被告人両名の利益にも適っていたものということができるのである。加えて、被告人両名は、川越開発の名ばかりの取締役会をして、同社の存立に不可欠な資産であるコースを自らが新たに設立した(有)初雁に賃貸させて引き渡させ、もってコースの運営を掌中に収め、他方、川越開発のもう一つの収入源である会員券の売却を思いのままにして来たものである。その上、事後的で被告人吉村の深く関知しないところであるとしても、(有)初雁が支払うべき賃料月額八〇〇万円は、被告人志賀の巧みな帳簿操作によって支払ったもののように糊塗し、また、(有)初雁におけるコース収入も、反対派の戸村らを過大な経費負担の要求と好餌によってその経営陣から排除し、もってその独占化を図り、更に、裁判制度を悪用して会社整理の申立てを行い、川越支部裁判官をして弁済禁止の保全命令を発せしめ、川越開発の債権者に対する債務の支払いを合法的に拒否し得る態勢を整えたうえで、悠悠横領手形の分配に及び、あまつさえ、自ら会員券を乱発しておきながら、甘い汁を吸い終わったとみるや、一転して、乱発が原因としてふくれ上がった会員の人数減らしを企図し、追加預託金を徴求してこれを支払った会員のみを(有)フェニックスに移行させてそのプレー権と預託金返還請求権とを継承することとし、追加預託金を支払わない会員に対してはプレー権を認めず、その預託金も昭和五七年三月から初めて返還に応ずるということとしたのである。そして、その一方では、(有)フェニックスのみを存続させて順調に利益をあげているのである(なお、こうした事態とりわけ会員券の乱発は半ば公然化していたとみられるのに、河川管理者である建設省関東地方建設局長が(有)フェニックスに河川敷占用許可を与えて来たことも、甚だ不可解であるといわなければならない。)。本件犯行がこうした事情を背景として敢行されたことに鑑みても、被告人両名が川越開発を私物化したとの謗りは免れ難いのである。

このようななかにあって、被告人吉村は、会員券の売却による無利息の預託金収入に目をつけ、これを自己の金融業の資金とすべく本件横領を企て、被告人志賀に協力、加功を求め、自らローデムに会員券を売却し、あるいは部下の社員らに売却させるなどして本件各犯行に及んだもので、一連の犯行の実行行為者にほかならず、また、賍物たる横領金三億七六〇〇万円余のうち、その約六八%にあたる二億五八〇〇万円余を取得している。しかも、そのうち一億円は、ローデムの戸田に口裏合わせを頼んで共犯者の被告人志賀に内緒で秘かに一人占めをしたものであり、被告人吉村には、金銭に対する強い執着心がみられ、本件川越開発事件は、パレスゴルフ事件その他の脱税事件とともに、被告人吉村のこうした性格が具現したものとみることができるのである。そもそも、被告人吉村は、昭和五〇年六月ころから川越開発に対して高金利貸付けを行い、多額の金利を稼いでいたのに、これに飽き足らずに本件犯行に及んだうえ、遂には川越開発からそのゴルフ場を取り上げた(有)フェニックスのオーナー兼経営者として君臨するに至ったもので、犯情はまことに芳しくなく、また、本件横領にかかる金員等が更に金融の資金として運用され、高金利貸付けの原資となっていることも無視することができない。

他方、被告人志賀は、債権者委員会の委員長として被告人吉村の企図した横領を制止し、これを断念させるべきであるのに、かえってこれに荷担し、自己と同等の立場にある他の債権者を顧みず、その信頼を裏切って本件各横領に及び、約一億一八〇〇万円余の横領金の分配を受け、これを絵画の購入代金やハワイでの生活費に費消したもので、その非は厳しく指弾されなければならない。とりわけ、本件が、被告人志賀において、その協力を期待する被告人吉村の心情につけ込み、自らは資金を出さず、また、実行行為も分担しないで、多額の横領金の分配にあずかったとの感を否定できないことに鑑みると、被告人志賀に対して強い非難が加えられるのもやむを得ないものと思料される。

次に、パレスゴルフ事件は、ゴルフ場を経営するパレスゴルフの大口債権者であった被告人吉村が、同社の事実上の倒産により経営の引継ぎを頼まれて代表取締役に就任し、その業務を遂行中、昭和五四年二月から翌昭和五五年三月までの間、前後五回にわたり、会員券売却代金一億円(約束手形一〇通)と会員からの振込年会費合計四億七五〇〇万円を業務上横領したという事案であり、その横領金額は川越開発事件を上回る総額五億七五〇〇万円にも達して極めて高額である。被告人吉村は、右川越開発事件の犯行の中途から本件犯行を始め、一年余にわたって資金難に苦しむパレスゴルフを私物視して横領を反復継続し、滞納租税公課の支払いや預託金の返還を求める会員を尻目に私欲を図り、横領分を別に営む金融業の資金や(有)フェニックスの法人税脱税のための架空預託金等として使用し、遂には昭和五六年四月にパレスゴルフを倒産させて会員の預託金返還請求を事実上不能にするなどしたもので、犯情は悪質である。更に、被告人吉村は、昭和五五年一〇月ころに(株)千代田に対する東京国税局の査察を受け、翌昭和五六年三月初旬ころ、(株)千代田がパレスゴルフから一億円の手数料を受け取った旨の経理処理がなされていることにつきこれが課税の対象となる旨指摘されるや、右の課税を回避するとともに自己の約束手形一〇通の横領を隠蔽しようと企て、右一億円は、(株)千代田においてローデムの売れ残りの会員券を買い戻すために預かつていたものである旨の虚偽の弁解を行い、これに符合するかのような種々の架空書面を作成して証拠を捏造しているのであって、この点も量刑上看過することができない(なお、右一億円をもってローデムが(有)フェニックスからその会員券二五〇枚を買い受けたものとして二五〇枚の会員券をローデムに交付し、これによって(有)フェニックスに一億円の損害を与えている。)。

更に、法人税法違反事件は、被告人吉村において、自己が経営する(株)千代田等法人五社につき、その五期分の所得合計三億八五〇〇万円余を秘匿し、合計一億四五〇〇万円余の法人税を免れたという事案で、いずれも無申告ないし欠損申告によるものであり、所得秘匿率及び税ほ脱率はともに一〇〇%であって、ほ脱の手段も芳しくない。

また、被告人吉村の所得税法違反事件は、会計士補たる被告人志賀の指導に問題があったとはいえ、被告人吉村において、(株)千代田等に対する貸付けとその利息の収受を架空金主名義で行うなどして多額の受取利息を秘匿し、二か年にわたり合計九億三九〇〇万円余の所得を秘匿し、合計六億八二〇〇万円余の所得税を免れたもので、その金額はいずれもまれにみる多額なものであり、手段も甚だ巧妙であって、その所得秘匿率は約九八・五%、税ほ脱率は源泉徴収分を考慮に入れても約九九・六%に及んでいる。被告人吉村は、脱税の動機として、自己の金融業を拡大するためには多額の納税をする気になれなかった旨供述しているが、動機において斟酌すべき余地がないばかりか、前記法人税法違反事件とともに、被告人吉村の納税意識の欠如を顕著に示すものであるとともに、被告人吉村の今日の蓄財の基礎がまさに脱税にあることを示すものとして注目に値する。

他方、被告人志賀の所得税法違反事件については、同被告人は、会計士補という身分にありながら、専門的知識、経験を悪用して被告人告村からの受取手数料を秘匿するなどして、二か年にわたり、合計五億二六〇〇万円余の所得を秘匿し、合計三億七八〇〇万円余の所得税を免れたものであって、その金額が多額であるばかりか、手段も巧妙で、その所得秘匿率は約九五・一%、税ほ脱率は源泉徴収分を考慮に入れても約九九・一%に及んでいる。被告人志賀は、脱税の動機として、多額の税金を納める気になれなかったこと及びハワイでの生活費を蓄えておきたかった旨述べていて斟酌すべき事情は見当たらず、納税意識の希薄さは顕著である。のみならず、被告人志賀は、自己の脱税を行うばかりか、自ら架空金主を用意して被告人吉村の脱税工作までも指導し、多額の報酬を受け取っていたもので、これを川越開発事件と併せ考察すると、被告人志賀は、被告人吉村に寄生して、同被告人から利益を吸い上げていたともいえないではなく、特に、昭和五五年一二月に、被告人吉村から頼まれて国税局に対する虚偽の説明を引き受けた際、その報酬として一万八〇〇〇ドルもの金員を要求し、収受するに及んでは、一層その感を深くせざるを得ないのである。そして、今日まで被告人志賀から修正申告がなく、なんらの納税もなされていないこと等に徴すると、被告人志賀の本件刑事責任は重いといわざるを得ないのである。

以上の諸事情のほか、被告人吉村には昭和五二年九月一二日に東京地方裁判所において出資の受入、預り金及び金利等の取締に関する法律違反罪(高金利貸付け)により懲役一年・執行猶予三年に処せられた前科があり、本件犯行が全て右執行猶予期間中の犯行であること等の事情を考慮すると、被告人吉村の本件刑事責任は極めて重いといわざるを得ないのである。

しかしながら、翻って考えてみるに、川越開発事件において、被告人両名は、多額の貸付債権と担保を有していたほか、川越開発を資本、経営の両面で支配していたのであって、このことが被告人両名をして安易に公私混同を招き、犯行を反復させる一因になったといえないではない。特に、被告人吉村については、意図に不純なものがあったとしても、川越開発の再建のために相当額の支出を追加しているのであり、こうしたこともあずかって、川越開発につき今日の展開をみるに至ったことについては、それなりに、被告人両名のために酌むべきものと思われる。そのなかにあって、被告人吉村は、本件摘発も契機となって、弁護人の指摘にもあるような相応の出捐と犠牲を余儀なくされ、なかんずく、昭和五八年七月二二日に川越開発の破産管財人との間で和解をし、売却にかかる本件会員券が担保会員券であることを前提にしたうえではあるが、今日までに川越開発に対して清算金として五〇〇〇万円を支払い、(有)フェニックスにおいて昭和六一年八月までに一億五〇〇〇万円を支払う旨約してうち二五〇〇万円を支払い、また、(有)フェニックスに移行しなかった川越開発の会員に対しては、(有)フェニックスにおいて昭和六二年三月までに直接預託金を分割返還する旨約している。更に、パレスゴルフ事件においても、被告人吉村には、川越開発事件と同様のことがいえないではなく、本件発覚後で、自らが貸金を回収する場合と異なり、利息等は十分配慮されていないけれども、横領分の五億七五〇〇万円の全額を返済し、被害弁償をしている。また、パレスゴルフを倒産させて会員の預金返還請求を事実上不能にするに至らしめたものの、同社はもともと倒産必至の状態にあり、それにもかかわらず、被告人吉村は、代位弁済するなどして他の金融業者の要求を押さえ、別会社を設立するなどして会員のプレー権を継承、存続させたもので、この点はそれなりに評価することができる。所得税法違反及び法人税法違反事件については反省し、修正申告をしてその一部を納付し、残余についても担保を提供するなどしてその納付が期待できる状況にある。

他方、被告人志賀については、川越開発事件においてはいわゆる共謀共同正犯にとどまるもので、実行行為を行っておらず、横領金の分配も被告人吉村より一億四〇〇〇万円少ない。また、被告人吉村の手によるとはいえ、被害の回復が図られていることなども、それなりに酌むべきである。また、所得税法違反事件についても相当の資産が差し押さえられていて、今後の納税が期待できる状況にあり、被告人志賀のため勘案すべきものと思われる。

なお、被告人両名とも、所得税法違反事件のほ脱所得中、横領によるものが多額を占めており、これは所得を構成するとしても特異な性格のものであることは否定し難いのであって、その科刑については、業務上横領罪についての量刑を十分に考慮すべきであり、かりそめにも、不当な処罰がなされないように配慮すべきは当然である(検察官の求刑において既にその配慮のあることが窺われる。)。

以上の諸事情のほか、被告人両名の年齢、経歴、家族関係、相当期間拘束されて来たこと等を総合考慮して、主文のとおり量刑する。

求刑

被告人吉村 懲役七年及び罰金七〇〇〇万円

被告人志賀 懲役五年及び罰金一億五〇〇〇万円

被告人(株)千代田 罰金二〇〇〇万円

被告人(株)相模台ゴルフ 罰金八〇〇万円

被告人(有)フェニックス 罰金八〇〇万円

被告人有限会社聖観光 罰金七〇〇万円

被告人有限会社丸商 罰金七〇〇万円

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 原田敏章 裁判官 原田卓)

別紙(一)

<省略>

別紙(二)

一覧表

<省略>

合計 46,323,750

別紙(三)

<省略>

別紙(四)

<省略>

別紙(五)

一覧表

<省略>

合計 475,000,000

別紙(六)

<省略>

別紙(七) 修正損益計算書

吉村金次郎

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

<省略>

別紙(八) 修正損益計算書

吉村金次郎

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

<省略>

別紙(九)

税額計算書

吉村金次郎

<省略>

別紙(一〇)

修正損益計算書

志賀暢之

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

<省略>

別紙(一一)

修正損益計算書

志賀暢之

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

<省略>

別紙(一二)

税額計算書

志賀暢之

<省略>

別紙(一三)

修正損益計算書

株式会社千代田リース

自 昭和54年4月1日

至 昭和55年3月31日

<省略>

別紙(一四)

税額計算書

株式会社千代田リース

自 昭和54年4月1日

至 昭和55年3月31日

<省略>

別紙(一五)

修正損益計算書

株式会社相模台ゴルフ倶楽部

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

<省略>

別紙(一六)

税額計算書

株式会社相模台ゴルフ倶楽部

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

<省略>

別紙(一七)

修正損益計算書

有限会社フェニックス

自 昭和54年4月1日

至 昭和55年3月31日

<省略>

有限会社フェニックス

<省略>

別紙(一八)

税額計算書

有限会社フェニックス

自 昭和54年4月1日

至 昭和55年3月31日

<省略>

(注) ※還付を受けた金額である。

別紙(一九)

修正損益計算書

有限会社聖観光

自 昭和53年4月1日

至 昭和54年3月31日

<省略>

別紙(二〇)

税額計算書

有限会社聖観光

自 昭和53年4月1日

至 昭和54年3月31日

<省略>

別紙(二一)

修正損益計算書

有限会社丸商

自 昭和53年4月1日

至 昭和54年3月31日

<省略>

別紙(二二)

税額計算書

有限会社丸商

自 昭和53年4月1日

至 昭和54年3月31日

<省略>

別紙(二三)

計算書

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例